前回記事の続きです。





【映画監督になってみて】

――監督を辞めたいと思ったことはありますか?

H いや、ないね。辞めたいと思ったことは一回もない。

――1回もですか。その強い意志の根底にあるものはなんなんですか?

H 他に何もできないから。辞めるってことは何かとの比較じゃん。転職する人はそれぞれの職業を比較して良い方に行くでしょ。俺は映画と比べて他にやりたいことがなかったし、映画を作るというものに勝つものが無かった。だから辞めようと思わなかった。


【『難波金融伝・ミナミの帝王』について】

――監督の代表作といえば『難波金融伝・ミナミの帝王』シリーズですが、撮るようになったきっかけはなんだったんですか?

H 会社から言われて撮るようになった。

――はじめから、何本も続くような作品を作る予定だったのですか?

H いやいや、そんな予定は無かった。とりあえず一本撮って、ヒットしたから次、またヒットしたから次っていう感じで続いていった。5~6本で終わらす予定だったけど、結果的に60本まで続いた。それは一応60本まで続いた理由があって、俺が会社と『ミナミの帝王』の3本目の撮影について話していた時に、ある映画の監督依頼があったんだよ。大物俳優主役で全国300館で公開される映画の依頼が。でも、企画書を読んだらつまらなかったんだよ。どう考えても面白くなりそうにないんだよ。それでみんなに相談したんだけど、全員に絶対その映画をやるべきだと言われた。俺も本当はやりたかった。だけどやっぱり自分の気持ちが乗らないものはやっちゃいけないなと思って断った。
その時に「絶対にミナミの帝王は20本くらいのシリーズにしてやる」という気持ちが湧いた。
それが俺の分岐点だね。
あの時、目先のお金や作品の大きさで選んでいたら、たぶん『ミナミの帝王』は60本も続かなかっただろうし、今の俺もなかった。

――分岐点ですか。苦渋の決断だったと思いますが、自分の信念を貫いて決断した結果、それが素晴らしい結果に結びついたのですね。

H だけどやっぱり、その大物俳優と一緒に仕事したかったなぁと思ったけど、もう一人の自分が「やりたいことをやっていれば、監督でいる以上絶対にその俳優と仕事できるよ。」と言うわけだよ。そこで終わるわけじゃないから。だから断った。
人にはみんな分岐点があるんだよ。Aを選ぶかBを選ぶかで変わってくる。でもその時に正しいのは、自分の気持ちだよ。自分の気持ちで選べば失敗しても納得するじゃん。それをお金のためや、人のためにやって失敗すると後悔するじゃん。自分の気持ちに素直に生きるっていうのが一番大事。


【萩庭監督の夢、BISIONについて】

――監督の次の夢やBISION、最終目標はありますか?

H あるよ。夢って最終目標を決めちゃうと、そこまでたどり着かないで終わるんだよ。ひとつの夢をクリアすると次の夢が出てくる。で、それをクリアするとまた次の夢が出てくる。それをクリアして次の夢、また次の夢と追っかけているうちに死ねると幸せなんだよ。
俺は映画監督になって評価も得たし、Vシネでも成功した。でもまだ、日本で一番お客さんを動員させた映画は撮ってないし、日本映画でベスト1の作品も撮ってない。映画監督である以上は、この二つを目指したいね。そこまでやったらハリウッドにも行きたいし、そこで成功したらベトナムやカンボジアに映画学校を作る。それが最終的な夢かな。

――なぜ、ベトナムやカンボジアなんですか?

H 教育がされてないから。俺は、教育が世の中で一番大事なものだと思っているし、どんなに貧しくても物を作る思想って大事じゃん。そういう思想を教えることによって人はふくよかになると思っているから。映画を通して人を育てるというのが最終的にやりたいことかな。そこまで夢が叶うかどうかわからないけど。でもそれは15年くらい前に自分の人生をシュミレーションした時に決めたこと。


Bisionインタビュー第1段は


僕たちがいつもお世話になっている


萩庭監督にお願いしました!








今回は2回に分けて監督のインタビュー記事を


載せたいと思います!

















名前  萩庭貞明







職業  映画監督





年齢  57







出身  茨城県日立市











柳町光男、田中登、中原俊、滝田洋二郎等の助監督を経て、


1991年『遊びの時間は終らない』で監督デビューを飾る。








オリジナルビデオの人気シリーズ『難波金融伝・ミナミの帝王』では、


第一作目よりメガホンをとり、西村昭五郎監督作品以外では57本の


撮影を完了している。








近年は監督業のほか、舞台演出や大阪にある「ミナミ塾」で俳優指導も


行っている。




(Wikipediaより引用)











【映画監督を目指すようになったきっかけ】







――それでは萩庭監督よろしくお願い致します。








萩庭監督  まじめか()












――改めて監督にインタビューするって何か変な感じですね。いつも会っているのに()


早速なんですが、まずは監督が映画監督を目指すようになったきっかけを教えて下さい。












萩庭監督  きっかけは、じいさんが映画好きで、俺が小学3年生くらいの時からいつもじいさんにくっついて映画館に行って、アメリカ映画や時代劇などいろいろ見てた。それが子供の頃の印象としてすごい残っていて。映画がやりたいなと思ったのはたぶんそこなんだよ。












――なるほど。子供の頃から映画に触れる機会が多かったんですね。では本格的に目指すようになったのはおいくつなんですか?












萩庭監督  19歳だよ。大学で自主映画を作り始めた。実は理科系の大学を受験して落ちたんだよ。親父が建設の仕事だし、他に夢がなかったからそっちの道に進もうと思って、受験したら落ちて。それで一年浪人して、予備校にもほとんど行かずに、映画や芝居ばかり観てたんだよ、なぜか()。その時にもう一人の自分が、『こんなに映画が好きだったら映画界に行けばいいじゃん』って。











――じゃあ理科系の大学に受かっていたら、映画監督になっていなかったということですか?












萩庭監督  絶対なってなかったよ。浪人してると毎日辛いじゃん。そうすると映画を観に行ったり芝居を観に行ったりってなっちゃうんだよね。気付いたら一年間で映画300本、舞台60公演観てた。なぜ覚えているかというと観た感想を予備校のノートに書いてたから()19歳でこんなに観てる奴はいないと思って、じゃあなってみようと思う権利くらいはあるかなと思った。


















【映画監督になるためのステップ】












――萩庭監督が映画監督になるまでどのようなステップを歩んでこられたんですか?












萩庭監督  昔は松竹や東宝、東映などが新人監督を募集していて一年に一回入社試験があったんだよ。12人採るか採らないかの狭き門だけど。それが俺の時代は不遇で採らなくなってしまっていた。どうしようかと悩んでいた時に、たまたま友達がある映画監督にスカウトされて、その友達がオーディションに行くときに一緒についていったんだよ。それで監督に次に撮る映画の手伝いをさせてくれと直談判した。お金もいらないし、何でもやるからって。それが始まり。そしてその時の助監督さんが声を掛けてくれて、次の作品で助監督として使ってくれたんだよ。












――なるほど。きっかけは自分で切り開いていったんですね。












萩庭監督  そう。自分で針の穴をこじ開けていくんだよ。今の若い子達に足りないのはこういう自分で道をこじ開けていく力。
























4月16日(水)18時~19時
原宿TV410ch(ニコ生公式チャンネル)

◆番組名◆
てれBision




◆番組内容◆
若者の若者による若者のための職業情報番組。
毎回様々な職業の方をゲストにお招きし、ここでしか聞けない職業の疑問や魅力について二人が掘り下げます!

若いうちから様々な仕事を知り将来の視野を広げ、数多くの選択肢の中から本当に自分のやりたいことを見つけてくれる人が一人でも多く増えればと思っています。



◆初回ゲスト◆
豊島区区議会議員 小林弘明さん



◆場所◆
公開生放送スタジオ「アンジェロ」
東京都渋谷区千駄ヶ谷3-63-1
グランデフォレスタ原宿B1F



◆入場料◆
初回に付き無料!



◆番組URL◆
http://live.nicovideo.jp/watch/lv175582461



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