下の写真左の小田ちゃんこと小田憲司君が、先月のライブに奥さんでクラシックピアニストの瞳ちゃんと遊びに来てくれた。
 

 
小田ちゃんと出会ったのはちょうど30年前、1990年のシカゴだった。
 
自分がシカゴに移って結構すぐに出会っているから、自分のシカゴでの活動のほぼ全てを知っているのが小田ちゃんだ。
 
当時小田ちゃんはまだ学生だったけれど、写真に興味を持っていて90年代前半から本格的に撮るようになった。
 
自分のシカゴでの写真の多くは小田ちゃんが撮ってくれたもの。活動のハイライトを彼も一緒に体験してくれた。
 
All photos by Kenji Oda
 
まずは、初期のストリート時代の写真。1991年かな。手前でギターを弾いているのが自分で、この日はシンガーのトミー・マクラッケンと共演。ブルース・フェス期間中のグラントパークの一角で演奏していたからこんなに多く人がいるけど、普段は一人で地下鉄の構内とかでプレイしていた。ブルースフェスのステージに上がる何年も前のことだ。
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サウスサイドのセレブリティ・ラウンジにて1993年くらい。シンガーはフレッド・ジョンソン。黒人街にあるこの店の常連客は全員黒人さんだったけど、ブルースへの情熱を感じてくれたのか、アジア人の若造の自分と小田ちゃんにみなさん優しくしてくれた。中には演奏中にジャケットのポケットに1ドル札をねじ込んでくれたおばちゃんも。今思い出しても笑みがこぼれて心がほっこりする。ありがとう😊
 

 

こちらはバディ・ガイとの共演シーン。彼のクラブ、レジェンズにて1994年。この頃自分はフランク・コーリアのバンドで活動していて、ライブ演奏だけでなんとか生活できるようになっていた。この店にフランクと出演した時、オーナーのバディ本人が店に現れた。バディが来てるぞと小田ちゃんに電話すると、カメラを持ってすぐに来てくれた。休憩中にバディが「次のセットで少しやるか」と言って、急遽ジャムに。小田ちゃんがジャムをしっかり写真に収めてくれた。こんな光景もシカゴならでは。バディがBBキングの愛器ルシールを弾いているのも珍しい^_^

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ジュニア・ウェルズとの一枚。ローザズ・ラウンジにて1995年。ジュニアのバンドに入れてもらったお陰で、全米、全カナダのブルースシーンに触れることができた貴重な年だった。初のソロアルバムが出たのもこの年。ジュニアは根っからのエンターテイナーで、スター性が他の誰よりもあったと思う。男女問わずほんとに人気があったし、かっこ良かった。ジュニアからはブルースマンとしてのあり方や、ブルースの世界で生きる喜びや厳しさを教えられた。自分にとっての師匠。
 
 
シカゴにローリング・ストーンズのライブを観に来たシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さん、シーナさんご夫妻が、オフ日にライブを訪ねてくれて嬉しいジャムに。1997年。シナロケのファンだった小田ちゃんは大喜び。菊田くんのギターはまっすぐね、と言ったシーナさんのあの時の言葉が今でも思い出される。

 

 

オーティス・クレイとシカゴの野外フェスティバルにて1999年。この年はオーティスの日本ツアーにも同行して、東京、札幌、仙台、大阪、福岡でライブ。初めてミシシッピにも連れて行ってくれた。プロの厳しさやリズムギターの重要性を改めて教えられたのもオーティスから。オーティスの存在感は大きかった。

 

 

初めてシカゴ・ブルースフェスティバルのメインステージに立った日。シンガーのネリー”タイガー”トラヴィスと2002年。シカゴに来て12年。やっと憧れのメインステージに立てた喜びはこの笑顔に表れている。前方の椅子席と奥に広がる芝生席合わせて約3万人、さらにその向こうにはダウンタウンのビル群が見渡せてそれは壮観だった!!

 

 

BBキングとの共演。忘れもしない2003年10月23日。数多くのミュージシャンに出会い、ステージを経験したけれど、やはり自分の音楽人生で一番嬉しかった日だったと思う。神様に出会った、まさにそんな一日だった。

 

 

撮影前の打ち合わせで。

 

 

インディアナ州ゲイリー市のマウント・モライア教会にて2004年。ゲイリー空港のイベントでジョンソン牧師に出会ったことで、モライア教会で演奏するようになった。2011年まで7年間ここでゴスペルをプレイ。今でもシカゴに帰ると必ず訪れるホームチャーチ。ゴスペルの深さと素晴らしさをこの教会で学んだ。

 

 

ヒューバート・サムリンとシカゴ・ブルース・フェスティバルの楽屋で2005年だったかな。屈託のない笑顔に接して、ヒューバートの子供のような柔らかい心を感じた。彼の功績はブルースに留まらず、ロックギタリストにも多くの影響を与えた。もっともっと評価されていいギタリストだと思う。

 

 

我がブルースの母、ココ・テイラーの自宅にて。キラキラのリヴィングルームが懐かしい。これは2006年くらいか。ココのバンドに入って最初の数年は自分のプレーの未熟さもあってよく怒られていたけれど、最後の数年はMy Shunと呼んでくれ、とても可愛がってもらった。ココの家では何度かギターレッスンをしたのもいい思い出だ。

 
 
カール・ウェザズビーとJWウィリアムス(右)に囲まれてベースを弾いている珍しい写真。本職はベーシストのJWはアルバート・キングが大好きで、ライブの後半になると、ギターを貸せと言ってよく自分のギターを取り上げられた。その時は自分がベースを担当。ギターを手にしたJWの表情が嬉しそうだ。

 
シカゴ・ブルース・フェスティバルのメインステージにて2012年。シンガーは昨年一緒に日本ツアーをしたノラ・ジーン。この日は亡きココ・テイラーへのトリビュート・ライブで、ココのバンド、ブルース・マシーンがバックを務め、4人の女性シンガーがココの曲を歌った。ココへの想いに溢れたなんとも熱く心を揺さぶられるライブだった。
 

 
そして小田ちゃんは、自分のアーティスト写真も長年に渡って撮ってくれた。

さらにCDジャケットも。
 
 
ブルースが大好きで、ブルースとミュージシャンへの愛とパッションが溢れ出ているのが小田ちゃんの写真だ。