自分が野球少年だったのを知ってる人はけっこういるかもしれないけれど、ラグビー少年だったことを知る人はほとんどいないのではないかと思う。

実は、高校1年の4月から10月までラグビー部に所属していた。

中学までずっと野球をやっていて、中3の時にピッチャーをやって肩を壊したのがきっかけで、高校では野球ではなくラグビーをやろうと決めていた。

足が速かったので、ラグビー部に入るとすぐにレギュラーに抜擢された。

ポジションはフランカー。

今の日本代表で言えばリーチ・マイケルのポジションで、ナンバーは彼と同じ6番。


フランカーっていうのはスクラムにも加わるし、バックスにボールが回ればその外側まで走ってカバーをする、運動量が1番多いポジション。ナンバーエイトと並んで花形ポジションの1つだ。

きっと先生が、足が速くてそれなりに運動神経が良かった自分に期待を込めて、フランカーに抜擢してくれたのだろうと、今になってみれば思う。

あれは初めての試合。最初の10分でバテて音を上げた。それだけ走る量が半端なく多いポジションだった。

公立の進学校にしてはラグビー部が結構強くて、1年の6月には関東大会に進出して甲府でプレイしたのを今でも覚えている。

ところがそのうち、隣の野球グラウンドから響くカーンカーンという硬球を打つ音が気になり始めていた。

しばらくすると無性に野球がやりたくなって、意を決して10月、「野球をやりたいのでラグビー部をやめさせてください」と先生に言った。

先生の剣幕はすごかった。弱い野球部に入っても甲子園には絶対いけないんだ。ラグビー部にいれば花園も夢じゃないんだぞ、と何度も諭された。それでも野球への気持ちが強かったので野球部に行きますと言い続けたら、謹慎して頭を冷やせと怒られた。

結局1ヵ月間部活を謹慎して翌月野球部に編入することになった。

今日のワールドカップのサモア戦を見ていて、その頃の思い出が蘇ってきた。

短かかったラグビーの青春。