腰の痛み、さらに雨に降られたユニティ・フェスティバルなど、大変な出来事もあったけれど、嬉しい出会いを経験できたのも、今回の旅でした。

 

 

WABGラジオのオーナーで自らDJも務めるジェイムス・ポー。
 
 
自分のプレイや経験を高く評価してくれ、ミシシッピに呼んでくれたのが彼です!
 
フェスの翌日には、カラッと晴れた天気の中で、野外インタビュー。
 
 
 
シカゴで何度かジャムったことがあるジョニー・ドラマー(真ん中)と、ミシシッピ出身で東京在住のスティーブ・ガードナー(右)、さらにジミヘンとの活動でも知られるジミー・メイズ(下の写真)との嬉しい再会もありました!!
 
 
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さらに、今回の旅で本当に楽しみにしていたのが、インディアノラ市のBBキング博物館です!!
 
 
 
 
ミスター・キングを聴いてブルースに目覚めた自分にとって、彼はまさにブルースの父。
 
 
ミスター・キングの功績が丁寧にディスプレイしてある素晴らしい博物館です。
 
 
 
 
 


自宅スタジオを再現!!
 

 
ミシシッピの貧乏な黒人家庭に生まれ、早々と両親を亡くして苦労を味わった幼少期。
 
メンフィスに出てミュージシャンの道を歩み始めた後も、その道のりは決して平坦ではありませんでした。 
 
人種差別が強かった1950年代後半、黒人の観客のみを相手に活動するいわゆるチトリン・サーキットの中で自分は朽ち果ててしまうのだろうかと、何度も思ったそうです。
 
さらに溜まってしまった税金の未払い分と、ツアー中の事故で負った多額の借金。
 
年間300回以上のライブツアーをこなしていたために家にいる時間がほとんどなく、愛する女性との結婚生活も破綻。
 
こうしたブルースな状況にあって、彼には音楽活動に邁進するしか道はありませんでした。
 
1967年、そんなミスター・キングの活動を大きく変える出来事がありました。
 
サンフランシスコのフィルモア・ ウエストに出演。ミスター・キングこの時42歳。
 
会場には1000人以上の白人のヒッピーが詰めかけていて、ミスター・キングはエージェントが間違ってこの仕事をブッキングしたのだろうと思ったそうです。
 
ところがライブが始まると観客は大いに湧き、ライブが終わったときには総立ちに。
 
ミスター・キングの目から大粒の涙がこぼれ落ちました。
 
それをきっかけに彼の活動は、人種を越えて、国境をまたいで世界に広がっていくのでした。
 
それから20年強、60歳を超えたある時自分がミリオネアになっていたことに気づいたそうです。 
 
生きるためにやっていた音楽が、ある頃から与える音楽に変わっていった。
 
「自分はこれまでベストを尽くしてやってきたと思っていたけれど、振り返ってみれば、顔を覆いたくなることがたくさんあるよ。人生の全てが成長するための機会を生んでくれる。この歳になっても、自分の中にはまだまだ学ぶ力があって、成長するための容量もあると感じているんだ」
 
これだけ成功を収めた人が、ここまで謙虚なことはなかなか言えないと思いませんか。
 
改めて、ミスター・キングと同じ時代に生きて、ご本人に会い、さらに一緒に演奏することができた幸運を噛み締め、博物館の終わりの方では、涙をこらえることができませんでした。
 
ミスター・キングという存在は、自分にとって単にミュージシャンとして成功した人とか金持ちになった人とかではなく、自分に与えられた能力を使いきって、運命の中で最善を尽くし、人生を生ききった勝利者です。
 
ギターや歌や曲を自分というフィルターを通して愛に変え、人々に与え続けるとどうなるかを、例を持って示してくれたのがミスター・キングです。
 
まさに人生の目標にできる人。この博物館でその思いをさらに強くしました!!
 
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デルタ・ブルースの中心地クラークスデール、ポ・モンキーズ・ラウンジ、ブルー・フロント・カフェにてジミー・ダック・ホームズとの対面など、旅はさらに先へ。
 
続きは明日!!