昨日のブログでチャック・ベリーが亡くなったことを書いたばかりだというのに、今日はジェイムス・コットンの悲報をお知らせしなければならない。

 

"スーパーハープ"のニックネームを持つジェイムスは、数少なくなった、シカゴ・ブルースの創世記から活躍してきたブルースマンだった。マディ・ウォーターズのバンドを始め、ソロ・アーティストとして50年以上にわたって世界のブルースシーンをリード。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3

 

小生にとっても、お世話になった先輩ブルースマンの1人だ。

 

ジェイムスは日本、アメリカ各地、そしてカナダにツアーに連れて行ってくれた。スーパーハープと呼ばれるだけあって、たった10穴のハーモニカでいろんな音を表現することができたワン・アンド・オンリーなスーパープレーヤーだった。

 

東京のコットンクラブにて

 

カナダのトレンブラント・インターナショナル・ブルース・フェスにて

 

 

一緒にツアーした時、ジェイムスはすでに70を超えていたので、優しい好々爺だったが、若い頃は相当にやんちゃで破天荒な生き方をしたようだ。あの時代のブルースマンはみんなそういう感じだったのだろう。

 

タイムマシンができたら真っ先に1950年代のシカゴに行ってみたいが、その場でプレーしていたジェイムスの話は、疑似体験をさせてくれるくらいリアルだった。シーンのど真ん中で、すべてを経験してきた彼だからこそ語れる物語だったのだろう。

 

1966年のマディ・ウォーターズのライブ映像を。

ジェイムスの太く存在感のあるハーモニカソロがフューチャーされている。隣でギターを弾いているピーウィー・マディスンも、自分がシカゴに行ったばかりの1992、3年頃に、サウスサイドの”セレブリティ・ラウンジ”で毎週土曜に一緒にプレーさせてもらった。二人の偉大な先輩を偲んで。合掌。