シーナ&ロケッツのリードシンガー、シーナさんの訃報に接したのは昨夜の事でした。

あまりに突然の知らせに、すぐにはその事実を事実として受け止める事ができなかった・・・・

写真を引っぱり出してみると、そこにあるのは若々しくてかっこいい、世界中で病気から一番遠いところにいると思えるエネルギッシュなロッカーの姿。

いくつかのニュース報道をネットで見て、やはり亡くなったんだ、とやっと受け入れるも・・・・



シーナさんと、旦那さんの鮎川誠さんに初めてお会いしたのは1996年、六本木のライブハウスでした。

楽屋を訪ねると、「よう来てくれたね~」と笑顔で迎えてくれたのを良く覚えています。

1996年に出演したパークタワー・ブルース・フェスティバルには鮎川さんがゲスト出演してくださり、シーナさんも応援に駆けつけてくれました。下の写真はその時の楽屋でのもの。




そして翌97年にはシカゴの老舗クラブ"B.L.U.E.S"で二人と初共演!

チャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』をジャムったのですが、ブルースクラブがこの時だけは、ロックのライブハウスに早変わり。

空気を変えてしまう二人のパワーはすごいと実感した夜でした!
(photo by Kenji Oda)


この時、シーナさんが

「菊田君のプレーは真っすぐよね」

と言った言葉が今でも強く残っています。

まだ30になったばかりで、青臭さが多分に残る自分のプレーをシーナさんなりに表現したのでしょう。

いつか、中からジワっとにじみ出る大人の音を出したい、なんて彼女の言葉を聞いて思ったものでした。


そして最後にお会いして共演したのは、2010年に小生のデビュー20周年記念ライブを東京目黒のブルース・アレイ・ジャパンでやった時でした。

シーナさんと鮎川さんが共にゲスト参加して下さり、同じく『ジョニー・B・グッド』をジャム。



他にも、初の教則ビデオ『シカゴ・ブルース』をリットー・ミュージックから発売した99年、発売記念ライブを渋谷クロコダイルで行い、その時も共演させていただきました。

こうして振り返ってみると、シーナさんと鮎川さんには、自分の活動の大切な節目節目でお世話になってきたんですね。

スターでいながら、普段は飾りの無い九州弁であったかい気持ちにさせてくれる。

ロックやブルースへの思いも人一倍で、マディー・ウォーターズやストーンズやウィルコ・ジョンソンやチェス・レコードの話なんかを楽屋でしばらく話したこともありました。

こんな二人が自分は大好きなんですね!


あまりに早いシーナさんの逝去。

こうして書いている間も

"Go Go Go Johnny GO!"

と歌うハスキーヴォイスが蘇って来ます。


シーナさん本当にありがとうございました!

いつかあっちの世界でまた”ジョニー・B・ グッド”をジャムりましょう!