再来週の23日に、いよいよベスト・アルバム「BEST OF SHUN'S BLUES」がキングレコードより発売になります。
アマゾンでもすでにアップされていますね。
http://www.amazon.co.jp/gp/switch-language/product/B00A9XXLHM/ref=dp_change_lang?ie=UTF8&language=ja_JP
先日ふと気がついたんですが、このアルバムに3曲でゲスト参加しているジュニア・ウェルズが亡くなって、15年になります。
ジュニアが亡くなった98年1月15日は、やはり同じ年の3月に死んだ自分の親父を最後に見舞うため帰国中でした。ジュニアの葬式に参加できず当時は悔しい思いをしたけれど、今になってみれば、そのお陰で元気だった時のジュニアの記憶だけが自分の中に残っていますね。
ジュニア・ウェルズは、シカゴで出会った多くのミュージシャンの中でも自分にとっては特別な人です。
95年に、ツアーで全米、カナダに連れて行ってくれ、メジャーなシーンを体験させてくれただけでなく、多くの事を教えてくれました。
特に自分の中でいまだに大きく生きているジュニアの教えが二つあります。
1、Play your own SHIT
直訳すると、お前自身の”クソ”をプレーしろ。ブルースマンらしい下品な言い方ですが、この意味は、『お前のもの(音)を出せ』、つまり誰々風でなく、自分の音で勝負しろっていうことですね。
今、現役で活躍するトップ2のブルースマンは、BBキングとバディ・ガイですが、バディ・ガイは長年に渡ってジュニアのギタリストとして活動を共にしてきました。でも、ジュニアは絶対にバディの様に弾けとは言わなかった。あくまで自分の感じるものを音にしろ、と。
(94年に最初にジュニアとレコーディングした時の写真。シカゴ・アクメスタジオにて)
2、ブルースマンは歌うものだ。
ツアー中の事、確かラス・ヴェガスだったと思うんですが、ライブの後楽屋でジュニアが言いました。「シュン、歌え。ブルースマンは歌わなきゃダメだ」
英語もそれほど上手くない、日本人の若造にブルースが歌えるとは思えず、「英語も難しいし、ブルースを歌うなんて自分にはできませんよ」と自分は言いました。
するとジュニアは、「俺も英語なんて得意じゃないが(笑い)ブルースは歌えるぞ。それに上手いとか下手の問題じゃないんだ。自分の気持ちを歌で表現するのがブルースなんだよ」
と言って、ジュニアの代表曲でもあるLittle by littleを歌い始め、俺についてこいと言って、その場で教えてくれたんですね。
その日以来、歌にも挑戦し、このLittle by littleは、最初に歌を覚えたブルースの曲で自分の大切なレパートリーになりました。
(95年に、They call me Shunのレコーディングに参加してくれたジュニアと。この年にメジャーにデビューした野茂投手のTシャツを着ていますね)
90年代は、自分にとってミュージシャンとしての礎を作り上げる時期だったんですが、ジュニアがとても大切なことを教え経験させてくれ、ミュージシャンとしての方向性を示してくれたんですね。
そういう意味で、ジュニアには感謝してもしきれませんね。
命日には、シカゴのサウスサイドのお墓にはお参りできませんが、せめてこの写真に手を合わせようと思います。ジュニア、これからの自分の活動をどうか見守ってください。
ジュニアとの他のエピソードは、このブログ左側のブログテーマ”Junior Wells”をクリックすると読めるので、時間のある人はぜひ読んでみてくださいね!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まっつん:こちらこそ、信念よろしくです^^
コマネチさん:新潟行きたいですね~。いつか実現させましょう!
パッチさん:東京は5/20に渋谷のマウントレイニアホールでやりますから、ぜひいらして下さいね!
のりさん:再会楽しみにしていますね♬
やっちゃん:嬉しいですね。では会場で会いましょう!
アマゾンでもすでにアップされていますね。
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先日ふと気がついたんですが、このアルバムに3曲でゲスト参加しているジュニア・ウェルズが亡くなって、15年になります。
ジュニアが亡くなった98年1月15日は、やはり同じ年の3月に死んだ自分の親父を最後に見舞うため帰国中でした。ジュニアの葬式に参加できず当時は悔しい思いをしたけれど、今になってみれば、そのお陰で元気だった時のジュニアの記憶だけが自分の中に残っていますね。
ジュニア・ウェルズは、シカゴで出会った多くのミュージシャンの中でも自分にとっては特別な人です。
95年に、ツアーで全米、カナダに連れて行ってくれ、メジャーなシーンを体験させてくれただけでなく、多くの事を教えてくれました。
特に自分の中でいまだに大きく生きているジュニアの教えが二つあります。
1、Play your own SHIT
直訳すると、お前自身の”クソ”をプレーしろ。ブルースマンらしい下品な言い方ですが、この意味は、『お前のもの(音)を出せ』、つまり誰々風でなく、自分の音で勝負しろっていうことですね。
今、現役で活躍するトップ2のブルースマンは、BBキングとバディ・ガイですが、バディ・ガイは長年に渡ってジュニアのギタリストとして活動を共にしてきました。でも、ジュニアは絶対にバディの様に弾けとは言わなかった。あくまで自分の感じるものを音にしろ、と。
(94年に最初にジュニアとレコーディングした時の写真。シカゴ・アクメスタジオにて)
2、ブルースマンは歌うものだ。
ツアー中の事、確かラス・ヴェガスだったと思うんですが、ライブの後楽屋でジュニアが言いました。「シュン、歌え。ブルースマンは歌わなきゃダメだ」
英語もそれほど上手くない、日本人の若造にブルースが歌えるとは思えず、「英語も難しいし、ブルースを歌うなんて自分にはできませんよ」と自分は言いました。
するとジュニアは、「俺も英語なんて得意じゃないが(笑い)ブルースは歌えるぞ。それに上手いとか下手の問題じゃないんだ。自分の気持ちを歌で表現するのがブルースなんだよ」
と言って、ジュニアの代表曲でもあるLittle by littleを歌い始め、俺についてこいと言って、その場で教えてくれたんですね。
その日以来、歌にも挑戦し、このLittle by littleは、最初に歌を覚えたブルースの曲で自分の大切なレパートリーになりました。
(95年に、They call me Shunのレコーディングに参加してくれたジュニアと。この年にメジャーにデビューした野茂投手のTシャツを着ていますね)
90年代は、自分にとってミュージシャンとしての礎を作り上げる時期だったんですが、ジュニアがとても大切なことを教え経験させてくれ、ミュージシャンとしての方向性を示してくれたんですね。
そういう意味で、ジュニアには感謝してもしきれませんね。
命日には、シカゴのサウスサイドのお墓にはお参りできませんが、せめてこの写真に手を合わせようと思います。ジュニア、これからの自分の活動をどうか見守ってください。
ジュニアとの他のエピソードは、このブログ左側のブログテーマ”Junior Wells”をクリックすると読めるので、時間のある人はぜひ読んでみてくださいね!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まっつん:こちらこそ、信念よろしくです^^
コマネチさん:新潟行きたいですね~。いつか実現させましょう!
パッチさん:東京は5/20に渋谷のマウントレイニアホールでやりますから、ぜひいらして下さいね!
のりさん:再会楽しみにしていますね♬
やっちゃん:嬉しいですね。では会場で会いましょう!