昨日の23日で、事故からちょうど1年。
朝起きて教会に向かう前、ちょうど10時くらいのこと。
昨年のこの時間は、最初に担ぎ込まれたブラック・リヴァー病院で、脱臼した足の応急処置と、精密検査をされていたのだろうと思う。麻酔で眠らされていたのか、あるいは気を失っていたのか、記憶がほとんどない。

左目の周辺を4本骨折していることがわかって、もっと大きな総合病院のセント・ジョセフ病院にヘリコプターで運ばれたのが午後だ。その日はICU(集中治療室)に入れられて、顔、脳、首のCTスキャンなどをとる。顔を強く打ち付けたので、大事をとって首にはコルセットがまかれた。
とにかく初日は、首が固定された不快感と、顔の痛みを和らげるため、ひたすらモルヒネを打ち続けた。といっても、一定時間に一定量以上は打てないしくみになっているんだけど、右手に持たされたモルヒネのボタンをひたすら押し続けた記憶がある。
幻覚症状だったのか、看護婦に「上の方からへんな音がするんだけど、とめてもらえませんか」と言うと、「音なんか何もしてないわよ。モルヒネが効きすぎているんじゃないかしら」なんて言われたり。
食べる事もできず、ひたすら眠るだけの初日だった。


教会が終わって、ヴィノと電話でゆっくり話す。
1年前、腕、腰、足を骨折して、内蔵も潰れる寸前までいったヴィノは、同じ病院で生死を彷徨っていた。
入院して7日目に初めてヴィノがいたICUを訪れたけれど、生命維持装置にかかって、とても生き延びれるとは思えない状態だった。それでも、「頑張れよ。また一緒にプレーしような。I love you, man」みたいなことを耳元でささやいた。ヴィノは、その言葉をしっかり聞いていたのだ。この世とあの世の中間を彷徨っていた魂は、小生の言葉を聞いて、この世に戻る事を決意したらしい。
「シュンの言葉で、俺も帰りたいよ、連れて行ってくれと思ったんだ。あの言葉がきっかけで、生きなきゃと思い始めた」とヴィノ。

お互いに、事故以前よりももっと、生きている事への感謝の気持ちや、大きなもの(神様)に守られているんだという意識が強くなった。
電話の最中に何度も”It could have been much worse(もっと悪くなっていた可能性だってあるんだ)”が繰り返された。

そして、夜はB.L.U.E.Sにて開店40周年記念の写真撮影とジャムセッションが行われ、ヴィノと並んでもっとも重傷を負ったリッキーが、元気になった姿を見せていた。ドラムはまだ叩けいないけれど、ハーモニカを吹いて、歌って、フロントマンとしてもやっていけそうなパフォーマンスだった。

来年の今頃は、ブルースマシーンとして、みんな一緒にプレーしたい。1年後に向けて夢が広がる。

菊田俊介オフィシャルブログ「菊田俊介ブルース日記」Powered by Ameba-ミシガン湖8/09(教会の帰りに、アドラー・プラネタリウムの前の公園へ。こんなきれいなシカゴのダウンタウンを見れるのも、生きているからこそだ)