マイケル・ジャクソンの死を知ったのは、ちょうど木曜のベネフィット・コンサートに向かう車の中だった。驚いてラジオ・サーフをすると、クラシック局以外のほとんど全てがマイケルの曲をオンエアーしていた。

”Thriller”は、音楽史上最も売れたアルバムだと言われている。たぶん世界で一番愛されたエンターテイナーを、我々は失ったことになる。小生は、特にマイケルのファンというわけではなかったけど、一人の人間そして、音楽史に大きなフットプリンツを残したアーチストとして、ご冥福を祈りたいと思う。

そして今日、マイケルと彼の兄弟が生まれ育ったインディアナ州ゲイリー市にある生家を訪ねて来た(写真下)。
。小生が毎週日曜にゴスペルをプレーする教会から車でほんの数分の距離にある。
え?ここであの大家族が住んでいたの?というくらいの小さな白壁の家の周りには、30人くらいのファンがすでに集まっていて、写真撮影をしたり、人形を置いたりしていた。窓やボードにはたくさんの書き込みも。
「ミルウォーキーから来たんですよ」と言う子供連れ夫婦が、となりの男性とかわしている会話が耳に入って来た。

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下の写真の様に、ジャクソン家に敬意を表して南北に走る道は、Jackson St、東西に走る道はJackson Family Blvd(ジャクソン・ファミリー・ブールヴァード)と名付けられ、生家はその角にある。
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その昔、ゲイリーは鉄鋼業で栄え、ナイトクラブやシアターも多くの人で賑わっていたそうだ。ところが80年代に入って、業界の斜陽と共に街のスラム化が進み、ダウンタウンはまるでゴーストタウンのようになってしまった。

下の写真のパレス劇場は、そんなゲイリーの繁栄と衰退の歴史を無言で語っているかのようだ。特に”Jackson Five”のoが抜けていたり、Fが逆さになっているところに、閉館してからの月日の長さを知ることができる。

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ジャクソン・ファミリーはゲイリー出身では一番の出世頭で、街の”誇り”なんだね。