ジュニアとのロードは、アメリカ中南部から西へ走り西海岸を北上、ヴェガスにも寄って、カナダのヴィクトリアまで行って、内側に入りアイダホやコロラドまでの5週間。
さらに、カナダのケベックからモントリオールあたりまで西に向かい、アメリカ国内に戻ってニューヨーク、ボストン、ワシントンDC、メリーランドなどの東海岸を3週間。
計8週間、2ヶ月に及ぶものだった。バス

全部の走行距離は何万キロだったのか。ジュニアの2台のヴァンに、9人のミュージシャンとマネージャー兼ドライバーのマイク、もう一人のドライバーのスキナーの計11人が分かれて乗り、この全てのロードをこなしたんだ。
 
ヴァンは横になるスペースもなく、枕をシートと窓の間に置いて、なんとか斜めに寝られる様に工夫。その体勢で時には15時間も続けてドライブしたことも。
テキサスでは、10時間以上走っても牧場とサボテンの同じ景色が続き、しかもまだテキサス州内。アメリカのデカさを肌で感じたなあ。ショック!

11人の大所帯とあって、ホテルは全て相部屋で、一人だけになれる空間はトイレとシャワー、あとは部屋を抜け出て近くのマックでコーヒーを飲む時くらいだ。

移動、ライブ、ホテルで寝て、翌朝移動、ライブ、寝るのひたすら繰り返し。
体調を管理するのも実は重要な仕事の一つなのを知った。ロード先で風邪でもひくと大変。
ゆっくり横になって休む時間が限られているからだ。
実際に、ルームメイトのジョニーが風邪で熱を出したときは、本当に辛そうだったし、うつされない様に日に何度もうがいをしたりして、気をつけたね。

野球のマイナーリーグはよく”ハンバーガー・リーグ”と呼ばれるけれど、ブルースバンドのロードもまさにそれ。マック、ケンタッキー・フライド・チキン、タコ・ベル、デニーズあたりがお決まりのルーティーンで、メンバーはハンバーガーやフライド・チキンが毎日でも全然平気なんだよね。

音楽以上に、生まれの違いを実感したなあ叫び

これを毎日食っていたら、血液がケチャップみたいにドロドロになりそうで、チャンスがあれば中華でサっと済ませたり、サラダだけにしたりと、食事には苦心したね。サンフランシスコとモントリオールで2回だけ日本食を食べた記憶がある。

2ヶ月も目と鼻を突き合わせていれば、時には小さな事から言い争いに発展したりもした。でも絶対に長引かせてはいけない。それでなくても密集した空間と人間関係、そこに気まずい空気を持ち込むのは自殺行為なのだ。

誰とでも上手につき合う。バンドで生き残るにはこれが不可欠

を身を以て学んだ。ミュージシャンは個性的で変わったのが多い反面、一部を除いては付き合い易い”いいヤツ”が多いんだ。みんなバンドで人間関係を揉まれてきたからだろうと思う。

当のジュニアは、長距離移動は飛行機で、短い都市間は我々と一緒に移動。
車の中ではほんと物静かで、穏やかだったね。ステージ上の派手で楽しいジュニアとは、まさに昼と夜ほども違っていた。

ステージ上でジュニアは、エンターテイナーになりきって、自分で自分を演じていたのかもしれない