野茂投手と並んで、小生にとって忘れられない元ジャパニーズ・メジャーリーガーが吉井理人さんだ。
吉井さんとは2度ご本人にお会いした事があった。
一度目は1999年、ニューヨーク・メッツのローテーション投手だった吉井さんが、チームメイトで4番打者のボビー・ボニーヤを連れてKingston Minesに見にきてくれたんだ。
偶然にも、同じ夜にピアニストの山下洋輔さんも同店に見に来てくださり、吉井さん、山下さん、ボニーヤを囲んでのかなりインパクトの強い感激の一夜になった。
吉井さんは大のギター好きで、野球の名門、和歌山の箕島高校野球部に籍を置きながらも、仲間達とロックンロール・バンドをやっていたのだ。
「現役を引退したら、ロックンロール・バンドをやりたいですね」
本人から聞いた言葉だ。あの時、確かマーチンのギターを購入したばかりで、近々グレッチのエレキも欲しいようなことを言っていたような気がする。
そこで、当時出たばかりの教則ビデオ『シカゴ・ブルース』をプレゼントした。
2回目は、モントリオール・エクスポスに移籍した後で、シカゴ・カブスの本拠地リグレーフィールドのクラブハウスだった。
開口一番「ビデオ見てますよ」と言ってくれたのが嬉しかったなあ。
ロッカーが隣の大家投手も紹介してくれたりして、メジャーリーグのクラブハウスにいるだけで興奮する。
元野球少年にとっては、メジャーリーグのクラブハウスなんて夢の世界だ。
吉井さんは、野茂さんの大親友であり、男気のある人でもあるのだ。
小生にも、「監督の投手起用が納得いかず、思い切り怒鳴ってやりましたわ」と平気で言っていた。
チームメイトのために首脳陣とケンカするのなんて普通だったみたい。
しかも本人のポリシーで、
女性の裸を載せる雑誌の取材は絶対に受けない
吉井さんの硬派な一面を語っている。
日米8チームを渡り歩いた吉井さんは、現在北海道日本ハムファイターズのコーチをやっている。
今度お会いするときは、「いつバンド始めるんですか?」と聞こう。
ツーショトの写真がないのが、すげえ不思議。それだけ舞い上がっていたんだろうか。
吉井さんとは2度ご本人にお会いした事があった。
一度目は1999年、ニューヨーク・メッツのローテーション投手だった吉井さんが、チームメイトで4番打者のボビー・ボニーヤを連れてKingston Minesに見にきてくれたんだ。
偶然にも、同じ夜にピアニストの山下洋輔さんも同店に見に来てくださり、吉井さん、山下さん、ボニーヤを囲んでのかなりインパクトの強い感激の一夜になった。
吉井さんは大のギター好きで、野球の名門、和歌山の箕島高校野球部に籍を置きながらも、仲間達とロックンロール・バンドをやっていたのだ。
「現役を引退したら、ロックンロール・バンドをやりたいですね」
本人から聞いた言葉だ。あの時、確かマーチンのギターを購入したばかりで、近々グレッチのエレキも欲しいようなことを言っていたような気がする。
そこで、当時出たばかりの教則ビデオ『シカゴ・ブルース』をプレゼントした。
2回目は、モントリオール・エクスポスに移籍した後で、シカゴ・カブスの本拠地リグレーフィールドのクラブハウスだった。
開口一番「ビデオ見てますよ」と言ってくれたのが嬉しかったなあ。
ロッカーが隣の大家投手も紹介してくれたりして、メジャーリーグのクラブハウスにいるだけで興奮する。
元野球少年にとっては、メジャーリーグのクラブハウスなんて夢の世界だ。
吉井さんは、野茂さんの大親友であり、男気のある人でもあるのだ。
小生にも、「監督の投手起用が納得いかず、思い切り怒鳴ってやりましたわ」と平気で言っていた。
チームメイトのために首脳陣とケンカするのなんて普通だったみたい。
しかも本人のポリシーで、
女性の裸を載せる雑誌の取材は絶対に受けない
吉井さんの硬派な一面を語っている。
日米8チームを渡り歩いた吉井さんは、現在北海道日本ハムファイターズのコーチをやっている。
今度お会いするときは、「いつバンド始めるんですか?」と聞こう。
ツーショトの写真がないのが、すげえ不思議。それだけ舞い上がっていたんだろうか。