もう先週のことになるけど、野茂英雄投手が引退を表明した。

野茂さん、本当にお疲れさまでした!

日本人が普通に大リーグでプレーして、ものすごい高給をもらうようになった昨今。その礎を築いたのが、野茂投手だったのは間違いない。

野茂投手には、個人的にもいろんな思い出や思いがあるんだ。
95年に彼が大リーグに挑戦した同じ年に、キングレコードからデビュー・アルバム『They Call Me Shun』を出していただいた。その時のキャッチフレーズが、

ブルース界にも野茂がいた

だった。野茂投手ほど知られているわけではないし、実力があるわけでもないので、すごく照れくさかった。というより、恥ずかしかった。ガーン

でも、周りがどう言おうと関係なく、外国生活の不便さや、人種的なハンデや、先行きの不安のことなんか顧みるより先に、アメリカに来て実際にプレーしてしまった野茂投手に、自分を重ねたのは事実だ。
最初はマイナー契約、しかもリーグで決められた最低年棒だったのも、ストリート・ミュージシャンから始めて、稼いだ数ドルでピザ1枚だけ食べて過ごした自分に共通するものを感じた。
格は違えど、野茂投手の存在に励まされ、自分を投影する存在だったことは間違いないのだ。

野茂マックス

その95年に、ナイキが発売した『Nomo Max』(写真)を今でも履いている。
13年間履き続けて、かなりボロボロにはなってきたけれど、今でもジムにはこれで通っているし、たった1足のスニーカーなのだ。
野茂選手の大リーグキャリアよりも長く使うなんて思ってもみなかった。ここまでくれば履けなくなるまで履き続けるつもりでいる。ニコニコ