4月のお稽古の積み残し


透き木釜で後炭のお稽古をした後

透き木にもお好みがあるのですか?と質問。


忘れて終わってしまったので

先生がご準備してくださっていました!


利休 朴 (厚朴)


宗旦 桐


仙叟 桜



円能斎 梅


風炉でも透き木を使うことがあり
透き木風炉というそうです。


唐金の風炉で口に立ち上がりのないもので
こんな感じで使うよう。

今日のお稽古は、和巾でした。

和巾点の歴史は利休に遡り、合わせて千家の天皇への献茶の歴史とともに語られるのだそうです。


利休は、1585年10月の秀吉の正親町天皇への禁中献茶に奉仕し、このとき宮中参内するため居士号「利休」を勅賜さました。


千利休の孫の千宗旦の時代には、後水尾天皇の中宮であった東福門院から、道具の誂えの注文があり、東福門院からの下賜品が千家に伝えらています。


玄々斎は、千利休の献茶をはじめ、裏千家が数代にわたり「献茶」または「茶献上」をおこなった先例をのべ、「茶献上」の復活を願い出ました。

この願いは、慶応元年(1865年)に認められ、慶応二年(1866年)一月十九日には、この「茶献上」を記念する茶会がおこなわれ、この際に「大居士古書ニヨリ」和巾点の点前が復興されました。


江戸末期、武家の時代の終わりに再度天皇との繋がりによって裏千家茶道を守った玄々斎の先読みはすごいです。利休の献茶と玄々斎の献茶はかなり違ったものですが、「天皇に献上」という事実と、それをお点前とセットにすることで、なんと私にまでそのいわれがきちんと伝えられるということに、改めてびっくり‼️


御銘で井手の玉川を使ったあとは

太田道灌の伝承と「七重八重・・」の歌の確認。

※京都南部を流れる川で六玉川のひとつ。

「駒とめてなほ水かはむ山吹の花の露そふ井手の玉川」(新古今和歌集)


大学時代、下宿していた面影橋近くの神田川沿いに山吹の里の碑があったのを思い出して調べたところ、夢ではなかったようです😊

記憶の中では、蓑を貸してと頼まれ山吹の枝を差し出す乙女の像(熱海の金色夜叉みたいな)がありましたが、字が刻まれた石碑でした。。。