かづゑ的、なので
10日㈬、横川シネマまで『かづゑ的』を妻と一緒に観に行きました。
10歳の時から岡山県の長島愛生園で80年も暮らす宮﨑かづゑさんを撮ったドキュメンタリー映画です。
(映画『砂の器』で本浦千代吉さんが入院してた所ですね。)
2017年から2020年にかけての90歳から92歳ぐらいのお姿の映画です。
「ハンセン病って云うのは嫌。らい病って云って。らい病ってのは仏典にも聖書にも出てくる。ハンセンなんて人が見つけた病気じゃないでしょ?だかららい病って云わなきゃ。これは神様がくれた病気なの」
「お風呂入ってる姿を撮って。いいとこだけ撮って悪いとこは隠すのはやめて」
「出来た映画を私に見せようなんて、急いで作らないで。」
「らい病患者を”可哀想な存在“とゆう前提で見るのはやめて。感性は普通の人と変わらんし、らい病にはらい病ならではのズルい所もあるの。」
90歳のかづゑさんは92歳の夫との生活を、若い時から振り返りつつ色んな話を積み上げていきます。
入園直後にもう病気の影響で右足は下肢で切断されています。
左足も指などは無いようです。
22歳で結婚した時は両手の指はありましたが、病気で曲がった指で家事を一生懸命続けた末、両手の指は今はもう全てありません。が、「家事を頑張った証拠じゃけ、後悔はないよ」。
子供の時も大人になった時も、軽症患者に比べてかなり重症だったかづゑさんは、周りの患者からかなりイジメられて生活します。
死のうと思った時もあるけど、時折訪ねてくれる母の存在に思いとどまります。
結婚するときは断種しなければなりませんでした。
「大きなケンカはしたこと無いよねぇ」と夫婦は仲良く70年支えあって生きてきた事が伺えます。
かづゑさんは78歳の頃にパソコンを始め、84歳の時に自叙伝かな『長い道』を出版します。
岡山市に第九のコンサートを観に行くと、『長い道』のファンだという女性オペラ歌手からファンレターを手渡され、著書にサインを求められます。
手指のないかづゑさんはペンを手に苦労して固定して、長い時間をかけてやっとサインをします。(この辺はオレ号泣です。)
岡山県英田郡(『砂の器』の三木巡査の故郷ですね)に母の墓参りに行き、墓石を抱きしめて「まさか母ちゃんが亡くなるなんてねぇ」といつまでも帰ろうとしません。
2020年7月29日に夫が94歳で亡くなり、島の納骨堂でかづゑさんは骨壺を抱いて号泣します。
納骨堂の骨壺は亡くなった順番で並んでおり、夫婦だからといって隣同士にはしてもらえません。
「隣は誰?」と聞き、「ああ、ええ感じの人と隣合わせで良かったねぇ…」
島の全景を見下ろせる場所で、
「なんなんかねぇ、この島は。天国でもあるし、地獄でもあるし…」と述懐して映画は終わります。
そう長島は美しい島なんです。工場や煙突なんか見えないし、なんなら海岸の人工物も最小限しか見当たりません。
が、島の歴史は地獄そのものでありました。
かづゑさんは96歳でご存命のようです。
観に来て良かったです。
★
でも妻がレストランでお高いメニュー頼んでさぁ。
こないだも家族4人でプチ豪遊したのに、俺のお財布が横川来る度にえらく軽くなるんじゃけど。
ちょす