フランス文学者の桑原武夫の話をします。
その昔、学生運動が激しかった頃、マルクスとかレーニンとか当時先進的だった思想にかぶれ、過激でなければ学生ではないといった風潮があった60年代でしょうか。
〇〇派の幹部がよく、いわゆるオルグという活動をしていて、私も誘われたことがありますが、その頃、私は音楽に夢中だったので、過激な学生ががなりたてる言葉はイヤでイヤで、「アホか」と思ってました。
彼らは、自分が発している言葉の意味、分かっているの?
そんな折、桑原武夫はこういうことを言ってます。
「包丁の刃は鋭利で、確かによく切れる。しかし、それは先だけ。刃を支えている、胴体ともいえる柄の部分が腐っていると、刃は切れない。思想も同じである」
なるほど。
過激と称される学生たちに欠けているのは、鋭く切れる思想という「刃」ではなく、思想を支えている、個人の生活信条とでも言うべき「柄」の部分なのだ、ということ。
だから、問題は刃ではなく、柄をよく見ないとダメだと。
それ以来、桑原武夫の書いたものは、ほぼ読破しています。
学者でもありますが、登山家、翻訳家としても有名です。
アランの「幸福論」を翻訳し、京大では「共同研究」を成し遂げ、ルソー研究、新井白石の「折りたく柴の記」、ルソーを日本に紹介した中江兆民を評価した人でもあります。岩波の「文学入門」は、よく読みましたね。