正しいと正解は違うと考えます。
正解は答えです。
正しいは世間の判断基準です。
人間は基本的に「正しい」を判断基準に行動します。
なぜなら正解は誰にもわからないからです。
わからないと人間は不安になります。
その結果、「正しい」を判断基準に行動します。
周りが「こうするべきだ」と言っている価値基準で動きます。
でも、正しいはしんどいです。
正しいことは必ずしも全ての人に向いているものではありません。
また、周りもみんな正しいことをしているので、その中で抜きん出ることは至難の業です。
また、人から押しつけられたものほど、つまらないものはありません。
その結果、成果が出ません。
その結果、多くの人は凡人になります。
もちろん私は凡人「以下」です。
これは皆さんもそう思うでしょう。
だから、これから私の言うことは役に立たないかもしれません。
正解は誰にもわかりません。
その時、私は他人ではなく、自分を判断基準にします。
「これをやりたい!」
「これならいくらでもできる。」
「これをやってる時間が面白くて仕方がない。」
というものです。
ちなみに「面白い」と「楽しい」は別です。
私は執筆をしてて、楽しいと思ったことはありません。
苦痛です。
でも面白いのです。
「これをこう工夫すれば」とか
「こうすると面白くなるよな」とか考えるのが、
面白くて仕方ありません。
あなたが正解と思ったことが、世の中的に正しいかどうかは話は別です。
でも自分的に正しければ良いと思います。
だからといって、やりたいことをめちゃくちゃにやるのは違うと考えます。
自分が正解だと思ったことをやるべきか否か。
その時の判断基準は2つです。
誰かを、その人の生活を脅かすほどの、その人の生活に支障を与えるほどの迷惑をかけてないか。
もう一つは、それが犯罪でないか。
ただ、それだけです。
あなたが奴隷なら「正しい」という判断基準で生きなければいけません。
でも、奴隷制度は廃止されました。
廃止された制度にしがみつく必要はありません。
苦しいことをやって生活保護になったのでは憐れです。
面白いことをやって生活保護になると
「面白かったからまあいいや。
こんな面白いことしてお金がなくなったのに、
こうやって食わせてもらえるなんて、
日本はなんて良い国なんだ」
と思ってしまいます。
素晴らしいセーフティーネットです。
もっと正解に向かって突き進んで良いのではと思っています。