「すべての人間は必要だ」

 

なんてキレイゴトは言いません。

 

 

また、

 

「その人が必要かどうか」は

 

社会が決めるものではなく、

 

自分が決めるものだと思ってます。

 

 

若い人が

 

「自分は社会にとって不要な人間だ」

 

と煩悶することがよくあります。

 

それで自殺する方もいるようです。

 

 

お願いですから、それはやめてください。

 

なぜなら、その人は

 

「社会にとって不要」

 

の基準を履き違えているからです。

 

 

若い人は社会にとっては

 

「見習い」です。

 

若くして

 

「社会が求める人」

 

になるのは至難の業だと思います。

 

 

「見習い」の状態で

 

「私は社会に不要な人間なんだ」

 

と思わないでください。

 

 

確かに今は

 

「不要」なのかもしれませんが、

 

あなたは見習い期間なのです。

 

 

確かに今は

 

「何の価値もない人間」なのかもしれませんが、

 

それはあなたが見習い期間だからです

 

 

一生懸命教え込んだ見習いが途中でいなくなるほど迷惑なことはありません。

 

迷惑ですから死なないでください。

 

親が泣くからとか優しい気持ちで言ってるのではありません。

 

迷惑だからやめてくださいと言ってるのです。

 

 

それでは不要な人とは、どういう人か。

 

ここからは私の主観です。

 

これを読んでいるあなたには当てはまりません。

 

「社会にとって不要な人」は

 

「社会にとって邪魔な人」です。

 

邪魔な人とは、

 

「その人がいることによって、これからという人に迷惑がかかる人」です。

 

「その人がいることによって、これからと言う人が一生見習いになってしまう可能性がある人」です。

 

 

「これから」の人の仕事が奪われる。

 

「これから」の人の仕事の邪魔になる。

 

「これから」の人の迷惑になる。

 

 

自分がそういう人間になってしまったら、

 

即刻姿を消したい。

 

 

その上で自分を必要とする人がいなくなったら、

 

この世から即刻姿を消したい。

 

 

そのくらいの美学を持って生きてもいいかなと思い日々過ごしています。