私の家の家紋は

 

「丸に梅鉢紋です」

 

 

これは、

 

学問の神様で有名な太宰府天満宮山の象徴である梅紋からきていると言われています。

 

 

自分の家紋が学問の神様の象徴と同じ梅文であること、

 

さらにそれが、「正解」という意味の「丸」で覆われているということで、

 

改めてこの家紋を見て、自らの仕事が天職なのかなと思ってしまいます。

 

 

ただここで疑問に思ったことが。

 

自らの出自と家紋の整合性が取れないということ。

 

さらにその頃、世界史を担当されている先生から

 

「あなたは朝鮮族ですか?」

 

という質問をされた。

 

 

子供の頃から苗字を短絡的に見られて、そのようなことを言われたことはあった。

 

しかし、父から「違う」と教えられてきたので、特段気にはしていなかった。

 

しかし、その方は、モンゴル史を研究をなしながら教壇に立っていた方なので、その時はさすがに気になった。

 

別に自分がどのような民族であっても関係はない。

 

ただ、歴史を教える者として自らの出自は知っておくべきだと思った。

 

そこで自らの戸籍をとっていくこととした。

 

 

母方は代々、和歌山県西牟婁郡の山村に住んでいた。

 

幕末や明治時代あたりなど同じ字の中で婚姻を繰り返していた。

 

昔の結婚というのはこういうものなのだなと思った。

 

近所に同世代の異性がいると、無理やりそれをひっつけてしまうのだなと。

 

 

しかしそれを変えたのは戦争だった。

 

私の祖父が兵隊に取られた話は知っていたがどこにいったかは知らなかった。

 

ただ私の叔父が、1944(昭和19)年にソウルで生まれたことが分かった。

 

終戦の前年だ。

 

また私の祖母は、広島の呉の出身だった。

 

祖母の古写真で明らかに海軍勤務であるということがわかる写真があったことを思い出した。

 

祖父と祖母は、軍命で赴任したソウルで出会って、そこで私の叔父を授かったのだと。

 

ただこれはあくまでも叔父がソウルで生まれただけで、祖父も祖母も純粋な日本人だ。

 

しかも金谷は父方の姓。

 

 

父方の戸籍をたどった。

 

すると高祖父(曾祖父の父)の代で、北九州にたどり着いた。

 

そして、明治時代中期の私の祖先に

 

ついに外国人の名前を発見したのだ。

 

その名は

 

 

アンドロヌク

 

 

なんとロシア人だった。

 

父も祖父も赤ら顔で、背が高かった。

 

私もメイクをするとすぐに顔が真っ赤になるし、背も高い。

 

ここからきているのだなと思った。

 

 

朝鮮族の人は一人も出てこなかったが、

 

ここで私は、子供の頃に父が言っていた言葉を思い出した

 

「うちは藤原氏の出身で、武士だった」

 

これを聞いた私は子供心に

 

「そんな教科書に出てくるような人の子孫なわけがない」

 

と思っていたので、その時はただ話を合わせているだけだった。

 

 

ここで菩提寺の過去帳を辿ってみた。

 

日本には過去帳という制度があるのがすごい。

 

そういうと

 

「最初から過去帳を辿ればいいじゃないか」

 

という声が聞こえてきそうだが、現在先祖が眠る菩提寺には、曽祖父までの過去帳しかない。

 

しかし戸籍を辿る事によって、それ以前の先祖の名前が分かり、それ以前の過去帳を辿ることができたのだ。

 

 

父の言葉は本当だった。

 

 

藤原北家の藤原秀郷を祖とする少弐氏の一族であることがわかった。

 

藤原秀郷というと、平安時代に平将門の乱を鎮圧した押領使だ。

 

その後、おそらく源平の合戦の際に九州に移ってきたと考えられる。

 

そして福岡県行橋市金屋に起源があるのではないかというところまでたどり着いた。

 

だからこそ太宰府天満宮の象徴である「梅鉢」をモチーフにした家紋なのだと。

 

 

もちろんこれは、学術的な調査の結果ではない。

 

若干の推測も含まれていることも事実だ。

 

ただ、私の家紋が「丸に梅鉢紋」であることは事実。

 

この家紋を、今世、教育に携わる私が背負うことには大きな運命的なものを感じた。

 

 

私の個人的な家の話ですが、皆さんも自らのルーツを調べてみると新たな発見があるかもしれません。

 

戸籍と原戸籍、過去帳で、

 

日本人はかなりの昔まで遡ることができます。

 

これは世界中に類を見ない凄いシステムです。

 

ヨーロッパとかでも、よほどの貴族とかでない限り何百年もさかのぼることは不可能です。

 

ぜひとも

 

 

追記

福岡県行橋市は、伊藤博文の娘婿で演劇改良運動などで教科書にも登場する末松謙澄の生まれ故郷です。

その末松謙澄の曾孫で、伊藤博文の玄孫の末松康春さんは、30年来の友人で、そこにも大きな運命的なものを感じました。