先週末、京都は南座の新派公演に行って参りました。

「滝の白糸」と「麥秋」の二本立てというのに少し驚き。

「滝の白糸」だけで時間が十分なくらいなのにと思ったら、「滝の白糸」は1時間50分と大幅にカットされた上演。

そのため、白糸が村越に惚れるくだりや、白糸が人を殺めるに至った心理、法廷での白糸の心の揺れ動きなど、伝わりにくい部分が多かった。

しかし、これは興業を成立させるため仕方が無かったのだろう。


滝の白糸は春猿さん。

非常にさらっとした滝の白糸だった。

台本が大幅にカットされていたことや、

村越の井上恭太さんも非常にさらっとした人だったこともあり、ホントに薄味の「滝の白糸」だった。


寅吉は、月乃助さん。

こういった敵役は、スーパー歌舞伎などで多く演じているので、巧いのだが、月乃助さんが寅吉一役は、もったいないと思った。

新派の二枚目の月乃助さんが観たかっただけに少し残念。


小泉まち子さんのお倉や、よっこ(高橋よしこ)さんのおえつも、台本の関係でほんの一瞬の出番。

それでも、まち子さんやよっこさんが実際に演じてくれたので嬉しかった。

でも、「よっこさんも老けをなさるようになったのか~。」と時の流れをしみじみ。


田口守さんの春平は、超薄味の「滝の白糸」の中では、一人「超こってり」味に。

良いのだが、薄味版の滝の白糸なら、佐堂さんの飄々とした春平が合っているような気がした。

桔梗の瀬戸さんは悪い役者ではないが、古典は合わないような気がした。

柳田豊さんの裁判官、八田昌治さんの廷丁は、まさしく至芸!


後半は、一転して新派そろい踏みの「麥秋」。

安井昌二さんが、病気明けで非常にやせておられたのだが、そのお陰で、周吉のイメージに非常に合っていた。

良い意味での「枯れた」芝居で素晴らしかった。

水谷八重子さんの老けも、しっくりくるようになった。

これは喜んで良いのか悲しんで良いのか(笑)

もう、若くはつらつとした八重子さんの芝居は観られないのだろうか…


波乃久里子さんの史子はさすがの一言!

先代勘三郎さんのお嬢様で育ったのだから、「昭和のおばちゃん」は彼女の引き出しの中にないはずなのに、

どこまでも素の昭和の普通の家の奥さんを演じきってしまうことに、いつものことながら驚きを感じた。

それでありながら、下品にならないところが、波乃さんのすごいところ。

しかも、どこをどう切り取っても芝居をしている感じに見えないのが、スゴイ!


波乃さんは、芝居のない時は、いっそのこと冷凍保存でもしておいて、この芸を永久に見せ続けて欲しいと思った(笑)


あと驚いたのが、波乃さんのお弟子の松村沙瑛子さんの高子。

彼女も、このお役は引き出しにはないはずなのに、どこまでも素に見えるように演じていたことに、波乃さんの(芸の)DNAを受け継いでいるように感じた。

滝の白糸での白糸の弟子役でもお行儀が良く、化粧が巧く一番新派の色合いが出ていた。

端役でありながらファンもついてきているみたいなので、もっともっと彼女を売り出して欲しいと思った。


英太郎さんの矢部たみは、笑いにうるさい京都のお客さんも大爆笑で良かった。

児玉真二さんの謙吉とのバランスも良く、「こういう親子いるよな~」とうなづかさせられた。


八田昌治さんの新聞屋と、佐堂克実さんの写真屋が、良い味付けになった。

◇ ◇ ◇

新派には、是非とも月乃助さんが入ってもらいたいと思った。

月乃助さんなら、泉鏡花、川口松太郎先生などの作品の二枚目を見事に演じきると思った。

月乃助さんを主役にした古典ものと、今回の「麥秋」のようなホームドラマものと、舞踊(もしくは口上)ならば、十分に大劇場で興業が打てるだろうし、そうなれば新派も続いていくことになるだろうし、月乃助さんならそれが可能だと思った。

古典だけではダメだし、だからといって新作ばかりでは、テレビで有名な芸能人たちの座組との差別化がはかれない。

古典(明治・大正)と新作(戦後の昭和)をバランス良くやっていくことに新派の未来があるような気がした。