2023/3/3

お早う御座います。

日曜日は法句経、

ダンマパの写経です。

全部で26章ありますので、

一章一章写経し、

と言ってもiPadにインプットし、

①写経 投稿一周目

②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。

投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、

次の章へ進みます。

を繰り返します。

どうかお付き合いください。

 

「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズムで伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、ーリ語で「真理: dhamma)の言葉(: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。」Wikipedia

 

朗読 ブッダの真理の言葉 

第10章 「暴力」/写経編

 

全ての者は暴力に怯え、

全ての者は死を恐れる

己が身に引き比べて、

殺してはならぬ

殺さしめてはならぬ

 

全ての者は暴力に怯える

全ての生き物にとって命は愛しい

己が身に引き比べて、

殺してはならぬ

殺さしめてはならぬ

 

生きとし生けるものは、

幸せを求めている

もしも暴力によって、

生き物を害するならば、

その人は自分の幸せを求めていても、

死後には幸せが得られない

 

生きとし生けるものは、

幸せを求めている

もしも暴力によって、

生き物を害し無いならば、

その人は自分の幸せを求めているが、

死後には幸せが得られる

 

荒々しい言葉を言うな

言われた人々は汝に言い返すであろう

怒りを含んだ言葉は苦痛である

報復が汝の身に至るであろう

 

壊れた鐘の様に、

声を荒げ無いならば、

汝は安らぎに達している

汝はもはや怒り、

罵ることが無いからである

 

牛飼いが棒を持って、

牛どもを牧場に駆り立てる様に、

老いと死とは、

生きとし生けるものどもの、

寿命を駆り立てる

しかし愚かな者は、

悪い行いを成して置きながら、

気がつかない

浅はかな愚か者は、

自分自身のした事によって悩まされる

火に焼き焦がされた人の様に

 

手向かう事無く罪と我の無い人々に、

害を加えるならば、

次に挙げる10種の場合の内の、

どれかに速やかに出会うであろう

1 激しい痛み

2 老衰

3 身体の障害

4 重い病

5 乱心

6 国王からの災い

7 恐ろしい告げ口

8 親族の滅びと

9 財産の損失と

10 その人の家を火が焼く

この愚かな者は、

身敗れてのちに、

地獄に生まれる

 

裸の行も、

髷にゆうのも、

身が泥に塗れるのも、

断食も、

路地に伏すのも、

塵や泥を身に塗るのも、

うずくまって動かないのも、

疑いを離れていない人を清める事は出来ない

身の装いはどうあろうとも、

行いは静かに心収まり、

身を整えて、

慎み深く、

行い正しく、

生きとし生けるものに対して、

暴力を用いない人こそ、

バラモンとも、

道の人とも、

また托鉢遍歴僧とも、

ゆうべきである

 

自ら恥じて自己を制し、

良い馬が鞭を気に掛けない様に、

世の非難を気に掛けない人が、

この世に誰か居るだろうか?

鞭を当てられた良い馬の様に、

勢いよく勤め励めよ

信仰により、

戒めにより、

励みにより、

精神統一により、

真理を確かに知る事により、

智慧と行いを完成した人々は、

思念を凝らし、

この少なからぬ苦しみを除けよ

 

水道を作る人は水を導き、

矢を作る人は矢をため、

大工は木材を貯め、

慎み深い人達は自己を整える

 

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バラモンとは

バラモン(: ब्राह्मण brāhmaṇa、婆羅門)とは、インドカースト制度の頂点に位置するバラモン教ヒンドゥー教司祭階級の総称。ブラフミン(: brahmin)ともいう。

〜中略〜

ブラーフマナとは古代インド哲学宇宙の根本原理を指すブラフマから派生した形容詞転じて名詞。つまり「ブラフマンに属する(階級)」の意味である。

〜中略〜

リグ・ヴェーダ』に収載された「プルシャ賛歌」によれば、神々が祭祀を行うにあたって原人プルシャを切り分けた時、口の部分がバラモンとなり、両腕がラージャニヤ(クシャトリヤとなり、両腿がヴァイシャとなり、両足はシュードラとなった、という[1]。」Wikipedia

 

西ベンガル州のバラモン、ラビンドラナート・タゴールの相貌。

 

仏教ではバラモンとは

「バラモン教が説く生まれによるカースト制を、釈迦はに基づいた理論にて否定した[4]。そのため仏教はヒンドゥー教異端派(ナースティカ)であった。

 

人は生まれによってバラモンとなるのではなく、生まれによって非バラモンとなるのではない。業によってバラモンとなるのであり、業によって非バラモンとなるのである。[5]

初期仏教の経典の一つ『法句経』(『ダンマパダ』)26:393

 

では、著者(釈迦に擬せられる)は以下のように、出身階級による差別を明確に否定している。同書の第26章「バラモン」全体では、執着を断ち切って安らぎの境地に達し、完成された人をバラモンと呼ぶことを繰り返し強調している。

 

螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真実と理法とをまもる人は、安楽である。かれこそ(真の)バラモンなのである[6]。

 

日本では、渡来したインド人の仏教僧全てを、出身のカーストにかかわらず婆羅門と呼んでいる。」Wikipedia

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