2023/12/04

何故こうなるまで放っておいたのか?

これはノンフィクションです。

 

母が、

どこで倒れたのか知らないが一昨日、

病院に入院した。

それを僕に知らせたのは、

母を治療担当しているお医者さんだった。

 

電話の向こうで先生は、

やや気色立ち、こう言った。

「何故こうなるまで放っておいたのか?」と。

 

母の認知はそれほど進んでいて、

遂に病院に入院してしまった。

3年前、脳出血で倒れた僕を乗せた、

救急車の隊員も僕の母に同じ事を言った。

「何故こうなるまで放っておいたのか?」と。

 

僕は脳出血から2週間、

生死の彼岸を彷徨い、

その僕に母は、

救急車を呼ばず、

毎日三度二度の食事を作った。

それが親の勤めだとばかりに。

 

そして僕は、

その死の間際の幻想的な、

日替わりの絶景の中、

うつ伏せで食事をとり、

排泄はせず、

排尿の覚えも無く、

2週間を過ごし、

右目は全く見えなくなり、

「もうそろそろ自分は死んだかな」

と思っていたら、

未だ生きているようで、

流石の僕も状況を悟り、

母に救急車を呼ぶ様に頼んだ。

 

母は僕が電話する様に頼んだ1日目は、

電話の調子が悪い様な事をもぐもぐと言って、

電話を持ってこなかったが、

その翌日は僕も、

相当に切羽詰まって母を怒鳴ったので、

僕にコードレス電話を持って来た。

それで自分で救急車を呼び、

2階からダクトを滑り救急車に乗った。

 

母はと言えば、

何処に行ったのか見えなかったが、

救急病院を盥回しにされている救急車の🚑中で、

母が救急隊員にこう言われてやっと、

彼女が同乗している事に気付いた。

「何故こうなるまで放っておいたのか?」と。

僕は彼女が認知症だとは、

この日から暫く後も知らなかった。

 

面白いものでそのあとの僕の意識は、

信じられないほどに明瞭で、

僕を入院させるかさせぬかで紛糾している、

病院の会議の声すら覚えている。

2週間も放置された僕の体は、

腐り、朽ちる寸前だったのだ。

病院でも紛糾する訳だ。

「何故こうなるまで、放っておいたのか?」と。

 

盥回しの末救急車が到達した病院は、

褥瘡治療のためのプールまである、

日本でも10本の指に入る病院だったので、

お陰様で僕は回復し、

左眼も見える様になり、

今は健常者より健康な、

障害者を目指している。

 

本当に、

救急隊員の方、

病院の方には感謝している。

だから今こうして、

母の病院の先生から聞かれて、

何と答えるべきか?

「何故こうなるまで放っておいたのか?」を。

 

その答えは、

あの神様より、

あの仏様より偉いと言う、

某国の王様に聞いて欲しい。

何故ここまでみんなが大変な思いをして、

あなたを満足させねばならないのか?

 

僕の不敬罪の為に、

罪の無い人々が妄語を重ね、

妄語は妄語を呼び、

取り返しのつかないほどの、

仏教の罪を重ねてしまった。

もう一度お尋ねします。

「何故こうなるまで放っておいたのか?」

 

合掌

 

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