吃水線

 

昨日は2023/10/01だ。

この施設に来て早1年半が過ぎ、

僕が某国に赴任したその日から約30年が過ぎ、

イクチオステガが陸に上がってから3億年以上が過ぎた。

 

全てがあっという間の出来事。

 

放熱の中で唸っていた夏は、

昨日突然、

僕の元を去り、

気が付けば僕の鼻下に、

粘い鼻穴から👃の分泌液を、

べたりと人中に満たし、

数日間、これとの格闘が終わった時、

いよいよ秋も真っ只中と言う事になる。

 

この国にいる以上、

この事を拒む事は出来ない。

この時、鼻水の存在感は格別だ。

こうしてブログを書いて居る今も数分毎に、

僕の視界に鼻水の水面が、

チラチラとしている。

 

ところで、一昨日前起きた奇跡を話したい。

 

もう少しでやらかしかかった。

尿瓶いっぱいの尿を

ベッドの上にぶち撒けるところだった。

 

この施設では、

夜のトイレへの訪問を、

患者の安全確保の為に、

なるべく尿瓶にして欲しいと言う事である。

 

このブログを見直して貰えば分かるが、

既に数回、

未だ片手の指に入るとは言え、

僕はベッドに尿をぶち撒けて居る。

大概は寝ぼけて居る時が多いが、

もし冬に尿をぶち撒けるなら、

その辛さは、

筆舌に尽くしがたい。

更に、精神的なダメージは、

表現にならない。

僕は認知か?

はたまた尿路の異常か?

 

その尿瓶に満たされた尿を、

介助の人が、

毎晩、

毎数時間見回り、

片付けてくれる。

 

有難い事だが、

一昨日の夜はたまたま、

尿瓶が尿で一杯だった。

 

尿瓶に満たされた、

吃水線ギリギリの尿。

でも僕は、

一昨日は何故か強硬で、

本来ならナースコールを押すところだが、

そのまま排尿を決行したのである。

 

多分あと200CCも残っていない尿瓶に、

予想外の勢いの尿が流れ、

吃水線はそのせせらぎと共に、

見る見る上がって来た。

そしてそれは、

限界線を超え、

尿瓶の開口部に襲いかかった。

 

これは絶対にやらかした思った時、

排尿はピタリと止まった。

まるでリミットスイッチを踏んだ様に、

排尿は止まった。

尿意はそのままに。

 

慌てて、

介護の人を呼び、

事無きを得たが、

介護の人が空にした尿瓶を、

ベッドの脇の架台に置いた途端に、

排尿感の、

再起動があり、

残尿量100CCを再度、

尿瓶に排泄した。

 

報告はこれまでだ。

これ以上、

何も言うまい。

宗教アレルギーの日本人に何を言っても、

信じないだろう。

 

いや、

でも、

これだけは言っておきたい。

昨日は僕のお祈りしている、

仏教の聖天様の縁日だったのだ。

もう少しで、

縁日の為の荘厳を、

尿で汚すところだったのだ。

 

合掌

 

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