2023/09/06

認知症と言う幻   ③人間皆認知症とは

今日の認知例→「紙を食べる私さん」

 

3.正常な物忘れと認知症の中間症状 MCI とは

 

「このように説明すると、一見正常な物忘れと認知症の症状は簡単に区別できるように思えますが、実際は、これらの認知症と正常の老化による物忘れの区別は初めのうちはそれほど容易でないことがあります。

認知症と正常の老化の中間、「軽度認知障害(MCI,Mild Cognitive Impairment)」といわれる状態があることが知られています。」

 

我々の言語は、一見万能な様で、こうした問題を捉えるのに不十分な事を痛感するのである。

「軽度認知障害」にしても、

 「MCI」にしても、

便宜的表現に過ぎない。ある病気になる過渡期の状況を、便宜的に表現しているに過ぎないのだ。だから人は、こういう呼び方は人間のお互いのコミュニケーションツールとしては必要だが、自分の持つ感覚ももっと重要視すべきだと思うので在る。

それはもっと年齢が小さい頃からの問題だ。

僕に言わせれば、人間はこの世に生まれ出て、多かれ少なかれ、認知症で在る。どこで線引きするかの問題で、考えていたより患者が多い場合にMCIの様な表現が出て来る。

あなたが人の悪口を言う時、大概はその人がその問題を認知していない話題が多い筈だ。

認知していない、

分かっていない、

分かってくれない…

 

人は、僕の知る範囲、

日本人は、

人間は、

老若男女皆何かしら認知症で在る。

 

特に

①仕事の忙しさに追われている人、

②ストレスの強い仕事で自分を演じている事の多い人、

③仕事で上級のポジションにいる人、

は、自分自信に嘘をつく事が多い分、そのつっかえ棒が取れた時、急激に認知症が進行すると、僕はこの施設の老人を見ていて思う。

それは、

何が間違っている、

何が正しい、

では無いのだ。

どうやって自分を失わず、

どうやって自分を取り戻すのか?

という問題だ。

 

以前、スイス🇨🇭の会社にいて、生意気に国際会議、ビシネスレビューとやらに出させて貰った。この会議は世界各地に、上級取締役が赴き、半年毎のビジネスをレビューする大変ありがたい会議で在る。

その時皆さんに恐れられているオーストリア🇦🇹人上級副社長のハインリヒ(仮名)は、

誰よりも多くの報酬を貰い、

誰よりも自分の意思を会社の中で誇示し、

誰よりも社員の制裁与奪権を持っている人で在るが、

しかし

誰よりも機嫌が悪く、

誰よりも不幸せそうで、

誰よりも疲れていて、

誰よりもノイローゼの様に無口だった。

その時のビジネスレビューの集合写真を見れば、一目瞭然なのだが、どこへ行ったか見当たらない。

その写真は何故か、ポジションの低い人ほど幸せそうに微笑んでいる不思議な記念撮影だ。あのハインリヒ上級副社長は結局、社長になれず会社を辞めたが、それはそれで良かったのだ。今の彼が、幸せで在る事を祈っている。

 

この例から言っても分かる様に人は、お金、名声、仕事での評価、我慢の上に成り立つ幸せ、それを受け取る代わりに、犠牲にしているものが在る。それが、認知症という形で発露し、逆噴射するのでは無いか?と僕は思うので在る。

大胆な言い方をすれば定年退職と言う便宜的な線引きすら要らないのだ。

全ての人が平等に受ける事が出来る客観的自己判断シートを作り、

年齢に限らず定期的に診断し、

自己の認知症、

認知問題の進行を判断する。

自分が如何に自分で亡くなっているかを確認する。

自分で確認する。

 

「MCIは記憶障害など限局した問題はあるが、全般的な認知機能の低下のない状態のことをいいます。もっと言えば、記銘力の障害あるいは記憶以外の認知機能、上で述べた判断断力や時間・場所・見当識の障害、実行機能などのうち1つの機能のみに問題があるが、他の機能は保たれている人のことを言います。

MCIは65歳以上の高齢者の15-25%でみられるといわれますが、こうした人の中には、1年間に10-15%くらいは本当の認知症になっていく人もいます。つまり、MCIの人の一部は認知症の前段階にあると考えることができるのです。」

 

この文章を書いている人は、非常に文章の上手な人で、文章が分かりやすい。でも失礼を承知で言うなら、書いておられて、段々と明確になっている事が無いか?「お前、それを言ったらおしまいだろ」と。

「人間全て皆認知症ですと、子供の頃から認知することが、大事なことです。」と。

 

「近年、MCIの人が生活習慣改善などの適切な予防策や治療を受ければ、進行を防いだり、発症を遅らせたりすることができる場合があることがわかってきており、、MCIの段階での早期発見が重要になってきています。」

 

僕達が病院にかかる時、お医者さんの前にいる僕達は既に中重病になった僕達だ。その以前のストーリーの数分の一も知らせる事が出来ない姿だ。生活習慣病、早期発見、そうゆう言葉は、つまり、お医者さんの心の叫びの裏返しの様な気がしてならない。この個人情報保護、プライベートの時代に、どうして早期予防が出来ると言うのか?その人1人1人が自分を見つめる事が、最上の治療では無いのだろうか?

 

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