自己愛 【対象】
(愛を語る第10歩)
不定期投稿
自己愛 ナルシシズム
自分を好きだ。
自分を愛している。
自分が最高だ。
でも、自分しか知らないのだとも思う。
自分以外の人生の方が明らかに面白く見えても、
そちらに主体が移動する手段が無いので、
自分以外の人間になる事が不可能なので、
仕方なく自分が一番好きである。
一番も二番も無い。
選択肢など無い。
違いますか?
『生まれてきたばかりの赤ん坊は、
保護者と接しながら自己と他者の認識を形成する。
その過程で(成人するまでに)自身が無条件に受け入れられている
と実感することが、自己愛の形成に大きく関与している。 「自分が望まれている」事を前提に生活できることは、
自身を大切にし自己実現に向かって前進する土台となり得る。 また、自己に対する信頼が安定すること、
自分という身近な存在を愛せることは、 その経験から他者を尊重することにも繋がる。』Wiki
皆さん、
ここになんらかの答えを求めているんだ。
「いやあ、君の場合は特別だからな!」
と言う程度の普遍性なら、ここで語る必要を感じ無い。
木村拓也にも、
この前、長野で散弾銃で人を殺した異常者でも、
ウクライナでも、
北朝鮮の人でも、
均一に語る事の出来るゲージが欲しい。
誤解しないで欲しいのは、これはWikiの批判ではない。
「心理学者らからは、
自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる 、としばしば指摘されている。自分を愛するように、 人を愛することができるという訳である。自分を愛せない間は、 人を愛するのは難しいと言われる。」Wiki
僕の家の父の家業?は、
最初、私立女子高校の教師、
そこから転職して都立高校の国語教師であったが、
愛と言う言葉を親の口から聞いた事が無い。
嘘じゃ無い。
愛と言う言葉を聞いたのは、
誰だか分からない他人からだ。
そもそも自分の子供の時の疑問は、
「何故子供は親を選べないのか?」
だった。
そう思った原因は父の暴力だ。
小さい時、冗談を言うのが好きだった僕は、
父に「どうだね?調子は?」とおどけて見せた。
その返事は父の暴力だった。
僕の祖母が必死になって土下座して許されたが、
それから、父は、注意して会話をすべき他人になった。
そして自分はテレビで見るような
愛すべき子供では無いらしいと思った。
「しかし子供によっては、
虐待されたり、
自身の尊厳を侵されたりするような環境に置かれることがある。
この場合、
①その子供は努力次第で逆境に打ち勝ち、
人格者に成長する可能性もあるし、
②自己愛が希薄な自虐的な性格になるなどの可能性もある。
もし後者で自己愛を取り戻すには、
ここから先は更に自己愛を掘り進めたい。
見栄えを気にせずもっと真実に触れたい。
何故なら僕には、
自分に対する自己愛すら、
秘めるべきプライバシーが無いから。
合掌
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