仏教での愛と慈悲①
(愛を語る第7歩)
不定期投稿
さてここから仏教に入る。このブログは、仏教徒のブログなので、
「仏教における、いわゆる"愛"(英語でloveに相当するよう
な概念)について説明するには、「愛」と翻訳されている概念と、 「慈」や「悲」 と翻訳されている概念について説明する必要がある。 「愛」に相当する、概念には サンスクリット語ではtRSNaa तृष्णा、kaama काम、preman प्रेमन्、sneha स्नेह の4種がある。」Wiki
「愛」と言う概念
①tRSNaa (トリシュナー)
「人間の最も根源的な欲望であり、原義は「渇き」であり、
人が喉が渇いている時に、 水を飲まないではいられないというような衝動をいう[19]。 それに例えられる根源的な衝動が人間存在の奥底に潜在しており、 そこでこれを「愛」とか「渇愛」と訳し、時には「恩愛」 とも訳す。 また、この「愛」は十二因縁に組み入れられ、第八支となる。
前の受(感受)により、 苦痛を受けるものに対しては憎しみ避けようという強い欲求を生じ 、楽を与えるものに対してはこれを求めようと熱望する。 苦楽の受に対して愛憎の念を生ずる段階である。」Wiki
今まで勉強した他の宗教の愛と違うのは、12因縁と言う12の要
②kaama (カーマ)
「kaamaはふつう「性愛」「性的本能の衝動」「
相擁して離れがたく思う男女の愛」「愛欲」の意味に用いられる。 これを「婬」と表現することが多い。仏教では、性愛については抑 制を説いたが、後代の真言密教になると、 男女の性的結合を絶対視するタントラ教の影響を受けて、 仏教教理を男女の性に結びつけて説く傾向が現れ、男女の交会を涅 槃 そのもの、あるいは仏道成就とみなす傾向さえも見られた。密教が空海によって日本に導入された時は、 この傾向は払拭されたが、平安末期に「彼の法」集団(俗に立川流 と混同される)が現れ、男女の交会を理智不二に当てはめた。 性愛を表す愛染という語も、この流れであり、
しばしば用いられる。」Wiki
前に勉強した他の宗教にも、性愛を分けた宗教が多かった。
性欲とは愛なのか?愛じゃ無いのか?
性欲など満たされ無くても生きて行けるのか、
性欲が存在することは間違いなく、否定が出来ない。
この葛藤を、宗教はどうやって人間に納得させるのか?
しかも、これは生殖の問題でもある。
1回性交しても、100回性交しても、子供ができる時は出来る。
僕は、この点で親にも、知らぬ人々にも戒めを受け、
でも、重要なのは、「
次回に続く。
合掌
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