昨日は朝早くに自宅を出発し、能登半島の先端に位置する商工会地域の能登町へ!!

現在の能登町、旧柳田村出身で、明治から昭和を生き、特に大正・昭和初期に政治家として、実業家として活躍し、特に戦中戦後の混乱期において、日本の未来に向けた礎となる御功績を残された、櫻井兵五郎翁の胸像と顕彰碑の除幕式に出席させていただきました(^^)

能登町役場柳田庁舎の一角に建立され、関係者ら約100人が集い、櫻井翁の135回目の誕生日である昨日8月8日に執り行われました。

ちなみに…この胸像・顕彰碑建立の仕事をしたのは、下の画像で一緒に写っている、能登町商工会青年部の仲間であり、柳田庭園代表・十七代五郎右衛門である堂前くんです(^_^)v



石川県鳳至郡柳田村(現:鳳珠郡能登町)に生まれ、1915年4月に日本タイプライター会社(現キヤノンセミコンダクターエクィップメント)を創立されました。

その他にも、北陸毎日新聞社長・副社長、北日本耐火煉瓦社長、日本観光社長などを務められましたし、1932年には当時『東洋一』と評価された白雲楼ホテルを金沢市・湯涌温泉に開業されました。

1913年7月から1915年4月まで石川県会議員となり、1915年3月の第12回衆議院議員総選挙に石川県郡部区から立憲同志会に属して出馬し初当選してから、1942年4月の第21回総選挙まで計9回の当選を果たされました。

1931年4月に第2次若槻内閣の商工参与官。1934年10月に岡田内閣の拓務政務次官。

太平洋戦争を迎え、1942年3月、陸軍省事務嘱託(親任官待遇)・第15軍司令部付・軍政顧問に就任しビルマに赴任。1945年4月、鈴木貫太郎内閣に国務大臣(無任所)として入閣されました。

消滅可能性都市とされ、少子高齢化・人口減少に向き合っている奥能登の町ですが、偉大な石川県の先輩の背中を改めて意識し、地方創生の範となるような取り組みをしっかり応援して参りたいと思いました!



その後は、商工会・商工会議所にてヒアリングや意見交換を。。。

先ずは、穴水町商工会へ。

具体的なご相談に対し、丁寧に説明をし、ご理解を図りました。

次いで、七尾市の能登鹿北商工会へ。

牡蠣の産地としても有名な中島地区…こちらも人口減少に悩み、労働力不足を危惧する内容のご相談があり、様々な意見交換をさせていただきました。



その次に、同じく七尾市の七尾商工会議所へ。

こちらでは七尾商工会議所・のと共栄信用金庫・日本政策金融公庫・七尾市が連携協力し、『ななお創業応援カルテット』を形成し、各支援機関がそれぞれ有する支援メニュー、ニーズ等の情報共有を行い、創業者のステージに応じた支援メニューをスピーディーに提供し、創業初期段階から創業後のフォローまでの支援を強化することで当地域における創業者支援を活発化させ、ひいては事業所数減少の歯止めを目指すといった、まさに地域における理想的な面的支援スキームを実現していただいています(^o^)/

最後に繊維産業が盛んな中能登町商工会へ。県連副会長であり、歴代・石川県商工会青年部連合会長でもある木村会長と、中小企業政策や地域産業振興に関して熱い意見交換を♬

そこから1時間半かけて地元に帰り、3年前の私の初挑戦となった参議院選挙以来、ずっと応援いただいている同志や、この3年の間に新たに知り合い応援いただけるようになった仲間たちが集って、参議院議員として丸3年経ったことを振り返りながら親睦を深めました!

いつもご心配いただき、力強く応援いただいている、かけがえのない仲間たち。

絆を確認し、それぞれの立場で共に地域の元気を実現すべく努めることを誓い、実り多き充実した時間を共有しました!

皆さん、ありがとうございました!!



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