昨日の朝…8時40分過ぎに、心を許す友が参議院議員会館を訪ねてくれました!

鹿児島県の鶴の町商工会青年部の野村部長と、歴代部長であり、私が全国商工会青年部連合会長を務めた際に筆頭副会長として支えていただいた、同期同年の中野健一くん!!

今度、鶴の町商工会の周年事業で基調講演をさせていただくことになったので、その打ち合わせに。。。

中野ケンちゃんとは久しぶりにゆっくり会えましたが、その後に参議院自民党の国会対策委員会、議院運営委員会、参議院自民党議員総会、そして参議院本会議が控えていたので、わずかな時間だけでした(・・;)

その分、鶴の町商工会に講演で伺った際に、たくさんの時間を共有したいと思います♬



全国的に注目されたサミットの裏では、通常国会の会期末に向けて、粛々と国会審議が続いております。

昨日も、午前中に参議院本会議が開催され、複数の議了処理が為されました。

ちなみに、議了処理とは…

国会に提出された法案は、主管する各委員会で趣旨説明の後に質疑され、採決まで行います。

委員会での賛否が出た状態で、本会議において、その議案を審議した委員会の委員長から、委員会における審議の経過や賛否の結果などに関して報告を受け、その上で本会議全体であらためて採決することを議了処理と表現します。。。



お昼には…

参議院自民党における激励会が、都内の某ホテルで開催されました!

このたび勇退される先生へのご慰労、今夏ふたたび立候補される先生全員の当選を祈念して…

ご勇退される先生方からは、お一人おひとりから後進である我々に貴重なメッセージをいただきました。

今回あらためて挑戦される先生方とは、お一人おひとりと握手し、必勝に向けた応援の誓いと具体的な活動のご相談を。。。



その後も、政策グループの関係、地元新聞社の取材など、国会周辺でしっかりと活動してから…

東京駅に向かい、北陸新幹線で金沢駅へ!

ほぼ満席状態で、金曜日とはいえ、平日の昼の新幹線で!?

…と不思議に思っていましたが、皆さんもニュースでご存知のように、羽田空港における大韓航空機のトラブルによる滑走路閉鎖の影響で、多くの方が新幹線の利用に切り替えたからだったようです。。。



昨夜は、白山市選出の車ゆきひろ県議会議員の県政報告会が開催されましたので、来賓として出席し、ご挨拶と、激励と、お願いをさせていただきました。

私より2歳上の先輩で、笑顔で周りを包み込み、そして熱い気持ちで引っ張っていくラガーマン!!

石川県自民党遊説局次長として、夏の参議院選挙でも先頭にたって、岡田なおき先生の3回目の挑戦を力強く応援していただきたいと思います!



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【コメントへの返信】
一有権者さん、コメントありがとうございます。
腰のあたりを温めたり、座りっぱなしにならないよう、新幹線の中でも一定時間毎に立ったり歩いたり(^^;;参議院選挙が終わるまでは、ケアしながら頑張ります(^o^)/


番外編です。。。

アメリカのオバマ大統領は27日午後、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。昨日のブログ・Facebookでも一部内容をご紹介しましたが、被爆者の人たちを前にオバマ大統領が述べた所感の全文です。

【以下、NHKインターネットニュースより転記】

71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。
そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。

なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?
私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。

犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。
もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。

戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。

どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。

それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。
そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。

広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。
これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。

しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。
古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。
撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。

世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。
しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。

私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。
そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。

物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。
どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。
すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。

国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。

科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。

私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。

広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。

私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。

彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。
しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。

被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。
その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。

そして、変わることも可能にするのです。
あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。

迫害されている人や国々は自由を求めています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。

とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。

だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。

私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。

ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。

私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。
しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。

起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。
もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。

このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。

私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。

そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。

アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。
ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。

しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。

どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。
それが、私たちが広島に来た理由です。

愛する人たちのことを考えるために。朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。

私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。

亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。

国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。

ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。

広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。