山形県青連の渡邊会長、コメントありがとうございます。発信者として、伝えることの難しさを感じる場面はあると思います。でも、その想いをもって、誠意をもって発信することが、その表現方法に活きてくると思います。自分にも言い聞かせていることですが…ともに成長していきましょう!!

愛媛県青連の西川会長、コメントありがとうございます。だいさく君は、今年も連続して全国大会に出場しましたね?私の後輩の青年部員は、その兄(長男)です。兄がセレモニー関係、弟がブライダル関係を主に統括している、魅力ある花屋さんです!!

和さん、コメントありがとうございます。私のブログが何かお役に立てたのであれば、嬉しいです。


さて、本日は和歌山県青連の研修会で、2時間講演の講師を務めます。誰かのお役にたてれば、誰かの気付きのきっかけになれば…本日も頑張ってまいります!!和歌山県青連の皆さん、よろしくお願いします!!

昨日のブログでご紹介した二条先生のメルマガの内容…コメント以外でも好評だったので、関連する内容をアップさせていただきました。お時間のあるときに、読んでみてください。


(以下、二条先生のメルマガ本文より)

【本音をさらけ出す勇気】
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どうしても、どう思われているか?を気にして、思っていることを正直に話さなくなります。子供のころは、思っていることをそのまま口にしていましたが、大人になると気遣いしたり、自分が傷つかないように自己防衛して、本音を言わなくなります。

本音を言わないと心から自分で決めていれば問題はありません。
しかし、多くの場合、本音を「我慢」しています。本音を言いたいけれども、我慢しているのです。

このような状態は、自分の気持ちに嘘をついていることになります。自分の正直な気持ちに嘘をついて我慢していると、だんだん腹が立ってきて、いつか爆発してしまいます。
正直な自分を常に出していないと、爆発を繰り返し、そのたびに周囲に迷惑をかける人間になってしまうのです。

自分の本音を言うためには、勇気がいります。
こんなことを言ったらどう思われるか?変に思われるのではないか?評価が下がるのではないか?自分が傷つくのではないか?
そんなふうに思っていれば、本音を言うことはできません。

本音は、自分が言うことに責任を持ち、言った結果どんなことが起こっても受け入れるという気構えがなければ言えません。
本当の意味で、自分の言うことに責任を持つ、ということです。

正直に言わない人は、結局、自分の言ったことに責任を持ちたくないだけなのです。
社長は、自分の言うことに責任を持つという気概を周囲に示していくことが求められます。
だからこそ、常に、正直に本音の気持ちを伝えていくことが大切なのです。



【上半身だけぶれる】
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いろいろな人の意見を聴いていると、さて自分はどうしたらよいか?わからなくなることも多々あります。また、これはいい!と思って伝えたことも、後から反省をして違う方法を再度伝えることもあります。

このようなことをとらえて、人は「あなたはぶれている」とか「社長はぶれてはいけない」と言います。
ぶれること自体、決して悪いことではありません。
ぶれることは、その振り幅が自分の柔軟さの証明でもあります。
ぶれるということは、柔軟であるとも言えるのです。

しかし、どうもなぁ…と誤解を招いては、よい結果も出せません。ぶれることによって、望んでいない結果を招くようであれば、それは修正していく必要があります。

どうもなぁと誤解を生む多くは、ぶれるとき、足元からまた下半身からぶれているということです。
足元はしっかりと同じところに立ちながらも、柔軟に対応する。
下半身は安定していて、上半身だけ柔軟に動く。そんなイメージです。

これが、よい「ぶれ」です。

誤解を生む「ぶれ」は、上半身だけでなく下半身も動いてしまうことです。だから、何か信念のようなものが感じられず、他人の言うことに左右されている優柔不断な人間に見られてしまうのです。

下半身や足元をしっかりさせるためには、どんなことがあってもこれだけは譲らないという信念を自分で見つけることです。
信念を見つけるためには、苦労を重ねなければなりません。
苦境を乗り越えていくたびに、人は自分の信念をみつけていくのです。

信念をしっかりと持ち、上半身だけぶれるようにしてほしいと思います。



【戸閉め言葉を使わない】
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昔の日本の商人たちは、言葉遣いにとても注意を払っていたようです。

例えば、忙しいという言葉も使わないようにしていました。
忙しいとは,、を亡くすと書きます。商いは心を亡くしては成り立たない。だから、猫の手を借りたいくらい忙しくても、忙しいという言葉を使いませんでした。

同じように、戸閉め言葉も嫌っていました。

戸閉めとは、お店の玄関の戸を閉めてしまうような言葉です。戸をピシャリ!と閉めて、ハイおしまい、となってしまうような言葉を嫌っていました。

戸閉め言葉には、「でも」「だって」「しかし」があると言われています。
何かアドバイスを受けても、
「でもですねぇ」
「だってですねぇ」
「しかしですねぇ」
と二の句で言ったら、相手はもう何も話をしてくれなくなってしまいます。

話をピシャリ!と終わらせてしまう言葉として、嫌っていたのです。

この戸閉め言葉は現代でも使えます。特に年上の人との会話で戸閉め言葉を使うと最悪です。もう、何も話をしてくれなくなってしまいます。
「あんた,勝手にやれば!」と思われてしまうのです。

戸閉め言葉を使わない。
少し注意するだけでも、人間関係に変化が訪れると思います。