先にも紹介しましたが、今、奈良県では「なら記紀万葉プロジェクト2012-2020」が実施


されています。それに伴い桜井市でも色んなイベントがなされています。


中でも桜井市観光協会主催でJR西日本や明日香村地域振興公社協賛による


①歌碑めぐりロマンラリ- ②古道ラリ- などが目玉企画として、ガイドブックに挿入されている


往復はがきにて、所定の番号枠内にキ-ワ-ドを書き込み観光協会宛てに郵送する仕組みで


それにより、豪華(?)景品が用意されているという楽しいものになっています。


悠久のロマンと歴史学習、それにお楽しみが加わり、土、日曜日はJR桜井駅や近鉄桜井駅には


ハイカ-や参加者が賑わっているとのことです。



私は、むしろ一人でユックリズムで探訪できる平日に、軽自動車もしくは自転車で


① 記紀万葉歌碑めぐりロマンラリ-(桜井市六街道)に挑戦してみることにしました。


当然のことながら神社仏閣にも立ち寄ることになりますので、朱印帳を購入し、ご朱印の記帳


も楽しみの一つとなりそうです。


桜井には六道の街道があります。そして、この街道エリアに60箇所の歌碑が建っています。


1.山の辺の道 2.伊勢街道 3.忍坂街道 4.多武峯街道 5.磐余の道 6.大和長寿道



それでは、何時までかかるか!また途中で挫折するか!本来の「幕末維新」と並行して


チャレンジ してみたいと思います。♪(;^_^A



先ずは、忍坂(おっさか)道にある 栗原寺跡(おおばらからスタ-ト!!


国道166号線を、万葉の頃は阿騎野(あきの)と呼ばれて、大和朝廷の狩場の一つであった

大宇陀町に向かい、栗原口を右折、こののどかな道を進み、小さな橋を渡って坂道を登ります。

この坂道から見上げる栗原の里、白壁と石垣の家々、稲穂の黄色と相まって、何とも言えず

美しい村里の風景です。



軽自動車一台が通れるくらいの狭い道を一キロほど東南地区の傾斜地に張り付いたような

集落の一番高い南の端が栗原寺跡です。



                   史蹟栗原寺跡と礎石








栗原寺は中臣朝臣大島が、持統帝の御代に、若くして(28才)病没された皇太子、草壁皇子の

冥福を祈るため、誓願した。大島朝臣没後、その志を継いで比売朝臣額田(額田女王か)が、

持統天皇八年(694)から元明天皇和同八年(715)までの二十二年を要して寺を建て、丈六の

釈迦如来を安置した。また三重塔をも起し草壁皇子とともに中臣大島の冥福をも併せ祈ったと

いいます。(談山神社蔵塔露盤伏鉢銘)。中臣大島は晩年の額田王の夫だと伝えられています。

                              ~桜井風土記~


そして、ここに次の歌碑が残っています。




歌碑NO.28 「恋」


         古に 恋ふる 鳥かもゆづるはの み井の上より鳴き 渡り 行く
        いにしえ  こ     とり                い  うえ   な   わた ゆ 


        巻2~111  作者:弓削皇子  筆者:金本朝一

    ※ あの鳥は天武天皇のありし昔を恋い焦がれている鳥であろうか。

       ユツリハの御井の上を鳴き渡っていくことだ。

         古に 恋ふらむ鳥は 時鳥 けだしや鳴きし我が 恋ふるごと
        いにしえ  こ     とり   ほととぎす       な   わ   おも

 

         巻2~112  作者:額田王  筆者:金本朝一


    ※ 昔を恋い焦がれているという鳥はホトトギスであろう。

      おそらく鳴いたことでしょう。私が思い焦がれているように。



もと来た道を引き返し、次の目的地の忍坂道-②③に向かう途中、この景色を見て感動する

と同時に、次のことを思い出しました。


宇陀から半坂峠を越えて栗原から忍坂へ出るコ-スは遠くは神武東征の道、近くは幕末

文久三年(1863)に天誅組の志士らが東吉野村からこの道を桜井へ出ています。

やはり、栗原~忍坂~朝倉~三輪とつづく道は天誅組との縁を感じずにはいられませんね。



記紀万葉歌碑めぐり 忍坂道-②へつづく