いま思えば、秀峰が学生だった頃は、英語学習と言えば、単語とその綴りと文法ばっかりを教えられていたから、英会話ができなくても当然だっただろう。

 

英会話を身に着けるには、やはりネイティブの人と実際に会話しないといけないし、英語教師の教える通りに発音すると、だいたい通じない。

 

従来の日本の英語教育も、英語の書物や論文や新聞を読んだりするのには良かっただろう。日本語の会話がペラペラの外国人も、日本語の資格試験を受験しようとすると、まったく歯が立たないらしい。まあ、読み書きと会話は別モノらしい。

 

で、英会話を身に着けるために、知り合いのツテから、米空軍横田基地内に住んでいたキャプテン・ゲイリー(空軍大尉)のマンションへ、週に一度ほど通って、英会話を習っていた。

 

しかし、英会話は、ほぼほぼ習得できなかった。ゲイリーの奥さんが日本人だったので、奥さんを介して意思疎通を図ってしまっていたのがその要因だ。

 

基地内には、軍人の住居のみならず、ゴルフの打ちっぱなし場とか、ボーリング場や映画館、スーパーなどがあり、そういう施設に連れて行ってもらう方が楽しかった。

 

ゴルフ練習場やボーリング場や映画館などは無料で、スーパーの商品も、軍事配給品になるので、ものすごい安い。コーラが当時のレートで10円くらいだったと記憶している。

 

横田基地は長い滑走路を持っているので、軍人とその家族以外にも、歌手やアーティストが(慰問というのかな、スタッフ引き連れて)、直接、アメリカ本土から「ボーイング747」(当時)などのジャンボ・ジェット機で行き来しているそうだ。

 

あるときゲイリーから「こんどオフィサーズ・クラブ(将校クラブ・上級軍人のためのライブ・バー・サロン)に、“リタ・クーリッジ”(アメリカの有名歌手)が来るから、ライブを観に行こう!」と言われたので、行きます行きますと楽しみにしていた。

 

ところがライブの直前になって「日本の民間人を将校クラブに入れるのは、ダメよ」と上司から言われたそうで、お流れになってしまった、まことに残念だった。

 

秀峰が横田基地に出入りしていたのは、9.11より前だったため、ゲートのチェックはとても緩かった。検問所の係員に「キャプテン・ゲイリーさんを訪問したい」と言って、ゲイリー宅の電話番号をメモで見せると、係員のオッチャンがゲイリー宅に電話して「こんな名前のヤツが来てますけど」と言って、確認できたら入場できた。車のトランクも持ち物も検査されなかった。

 

余談だが、秀峰が横田基地に出入りしていた当時、エドワード・スノーデン(米国政府による盗聴システム「PRISM」などを暴露した)も、横田基地内の施設に、DELL社のエンジニア(その実はNSACIAのエージェント)として勤務していた。どこかですれ違っていたかも知れない。

 

 

 

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