よく巷には、私こそ、究極の真理を体得した者であり、私の〇〇メソッドこそ、その真理に至る正しい方法である、こういう主張をするスピーカーさんがいるけれども、こういう人は、疑ってみましょう。

 

自身を唯一の特別な存在だと設定したがるのは、肥大した自我意識の表れなのです。また、それは、自身の営業トークでしかないからです。

 

真理というものは、万人に唯一のものではないし、ある人の辿ってきた求道の道が、唯一の方法でもないからです。

 

「誰それの述べたことは、悟りを目指すときに陥りやすい罠であり、本物は、私の〇〇メソッドである」というのも、要は営業トークです。

 

仏教に「自灯明、法灯明」とあるように、自らを拠り所として、他の覚者などの言うことに惑わされることもなく、自分で真実と思えることを追究することが大切です。

 

覚者たちのいうことは、「そういうこともあるかなー」と、ヒントにすることはあっても、まったく同じ道をたどる必要はありません。万人に共通なゴールもなければ、万人に共通の道筋(メソッド)もないのです。

 

非二元のスピーカーさんたちのメッセージを受けて、「自分がいなくなる、という体験をまだしていないので、私はまだまだダメだ」なんて思う必要もありません。自分なりの真実、納得、これだ!、と思えるものがあれば、誰かからとやかく言われる筋合いはありません。

 

でもそれじゃあ、何を指標とすればいいのか、と困ってしまいます。そこに宗教や哲学の役割があります。長い年月をかけて多くの人が迷い、彷徨い、真実を希求したが故の、洗練された知恵がそこにはあります。

 

スピリチュアル系のメッセージや非二元の哲学などは、そうした連綿と続く知恵を簡略的にかいつまんだものです。バシャールが言おうが、OSHOが言おうが、たいていは、誰かがすでに述べていることです。

 

だから、そうしたメッセンジャーの言うことを信じ込むよりは、伝統的な宗教や哲学に真正面から取り組むことの方が、求道の目安になります。