「比べること」で書いた平等観を、人々だけでなく物事にまで広げて考えるようになった。
物事も、本来、何であれ、存在することにおいて平等なのだ。じゃなきゃ、物事に、意味や価値を認めてしまうと、それとあれを比べることができてしまう。
しかし、電柱が電線より意味深い、なんて言えないし、あのコップよりこの花瓶の方が価値がある、なんていうのも、人間が勝手に評価しただけであって、この世のどれも、意味の深さや価値の高さを比べることはできない。
したがって、世の中の物事には、固有の価値も意味もない。
電柱も街路樹も神社の鳥居も、そこにあるがままにあるだけで存在しており、完結しており、ほかのものとは比べようがない。
「あるがままに在る」だけが真実で、どっちの方が重要だとか意味深いとか比べることは、国語の50点と理科の70点の、どっちが価値があるかを論じているようなものだ。
だから、物事にも人々にも、価値も意味もない。
「ありのままに在る」だけで、それぞれに十分なのだ。
これは仏教の法華経に出てくる「諸法実相」(禅宗)の考え方と極めて近い。