仏教での悟りや非二元での解放を目指す「修行」、これがわからない。理屈もわからず瞑想や坐禅をしてみたり、呼吸法をしてみたり、善行を積んだりと、なにやら「実践」してる人も多いと思う。
で、本などからの知識ばかり溜め込んで、哲学的な論争に明け暮れたりする人もいる。そういう人に対して、「実践あるのみ!」などという言葉を投げる輩もいるワケだが、そのご本人も「実践」がどういう仕組みで、どうして適当なものなのか、わかってなかったりする。
一つには、「人生修行」というように、この世に生まれて、あーだこーだしながら生きてること自体、それだけで「修行」と言う考え方がある。例え、消費者金融から借りたカネでパチンコ三昧だったり、飲んだくれて裏通りで酔い潰れていても、それはそれで「修行」だと言えるかも知れない。
ただし、もうちょっと心理学的な話をするならば、「修行」とは、「自我(エゴ)」が嫌がることをする、という側面があるように思う。なぜなら一般に、悟りや開放は、エゴの壊滅を意味するように思われているからだ。
では、「エゴの特性、好むこと」を考えてみようと思う。
①欠乏感を満たしたい。
これは、いわゆる欲望、金銭欲、性欲、地位名誉欲などを追求することを意味する。要するに自分にないもの(あればよいもの)を、欲しがることである。
よくスピリチュアルのジャンル「引き寄せ」のことを、悟り系の人たちが揶揄するのは、「引き寄せ」の根拠が自我の「欠乏感」にあるからだ。さらに言えば、神社などでお参りして、良縁を願ったり、学業成就を願ったりするのも、同じ理屈で、パワーストーンを買っちゃったりするのも、みんな同じようなものだ。
だが、「欠乏感」から来る願望の最大のものが「悟りたい」という願望なので始末が悪い。悟りたくて修行をしても、それはエゴが、悟り(エゴ自身の壊滅)を望んでいる構図になってしまい、エゴの自殺という、わけのわからん事態を想定してしまう。この矛盾の解消法は、後に考えてみたい。
②目的や意味を重視する
これは①と似たようなものだが、普通の人間は、目的を設定してそれに向かってがんばる、ということを非常に重視する。けれども、禅の世界では、悟りさえ目的にしてはならないとされる。菩提達磨が「無功徳」と言ったのも、武帝が「これだけのことをしたんだから、それ相応の良い事が得られるだろう」という目的意識があったのを嫌ったためであろう。
③退屈が怖い
これも②に関連するが、人は、何もする事がないことに耐えられない。また、無意味なことをすることにも耐えられない。みんな、電車内でスマホや読書に熱中したり、景色を見たりするが、それに限らず、我々は「ただ単に何もしていない」ということが、恐ろしく退屈で、そのままではいられないのだ。失業してるよりは働いているほうがマシだ、というのも、この理屈だろう。
④刺激が欲しい
これは、③とも重なるのだが、あらゆる娯楽やレジャーなどに当てはまる。エゴは、ジーっとしていられないのである。いつも何かの刺激を求めている。だから、スゴイとされる観光地への旅行が魅力的なのだ。また、その最たるものは、ギャンブルや大音響の音楽などだろう。
⑤考え事をする
我々は四六時中、考え事をしているが、大半は、予測・憶測・仮定・架空のことを考えているし、過去のことをアレコレ考えるのも、非現実の夢見のようなものだから、これらを総じて、妄想という。つまり、実際に起こっていないか過去に起こったことは、妄想なのである。
⑥結論を急ぐ
自我は曖昧な状態やどっちつかずの状態を、非常に嫌う。早くハッキリとした結論を出すことを求めるのだ。その結果、憶測や推論に過ぎないことを「そうにちがいない」と結論に仕立ててしまい、妄想の世界へ誘われる。だから逆に、曖昧さや混乱の中にあって、ゆっくりとその状態のまま平気でいられることが、カギとなるだろう。
-結論-
では最初に戻って、「修行」とは何かを考えるとき、①~⑥のようなことを避ける、反対のことをする、ということが修行じゃないかと思う。要するに、「何もしない」ということを勧めているようにも思える。この修行は、おそろしくツマラナイながらも、道具もお金も必要ないし、疲れることもない。簡単と言えば簡単なのだ。
例えばある種の坐禅などは、条件にピッタリ合っている。だからこそ昔から受け継がれてきた修行法なのだろう。瞑想には、凡人がやると、神秘体験をしたいとか、体や脳を休めるという目的があったり、音楽を流したりマントラを唱えるという余計なことをするので、注意が必要だ。
坐禅は、目的がない。悟る目的の坐禅は「待悟禅」などと言って嫌われる。また坐禅には、効能もない(とされる)。実際にはあるんだけどね。それに、坐った形の禅ではなくても、考え事をせずに、今やっていることだけにひたすら専念する、という禅の形もある。
ちょっと舌足らずの文章になってしまったが、じゃあ一言で、望ましい「修行」は何なんだよ、といわれたら、私の考える範囲で言えば、「考え事をしない」「妄想をしない」「なるべく静かにジーっとしてる」ってなことになる。拍子抜けするほど、なんでもないことだ。
なので、オマケに箴言を2つ書く。
「なすべきことをするするよりも、必要のないことをしないことの方が肝要である」(秀峰)
「やるべきことはせんでいい、やらずにはおられんことをしろ」(澤木興道)