∞気流法・ひかりの式創始師範・坪井香譲氏が「科学とスピリチュアリティの時代」(2005年出版)に寄稿した論文が目に留まりました
以下、論文の要点をまとめてみました
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一般には、武道と瞑想は全く逆方向に位置する営みと思われる
武道は、対立、対決、争いなど、エゴを宿命とする人間のぶつかり合う業(ゴウ/ワザ)であり、油断のないかけ引き、害意殺意の世界
瞑想は、相対し合う世界から一時にせよ引きこもって、静かさ、平安をめざす営みであり、そこに愛、慈悲、調和を見出そうともする
武道と瞑想の一般的なイメージとは裏腹に、二つは相反するが、実は「一つ」のエッセンスの二面に過ぎない
瞑想には型があるように、武道にも型があり、二つの世界や型には共通しているものが多い
瞑想の型の典型ともいえる坐禅やヨガの結跏趺坐で大切なのは姿勢の垂直な動向
全身を深くリラックスし、かつ、全身にいわば意識のネットワークがくまなく行きわたっているようにすると同時に、頭長と会陰部の中心がタテに結ばれ、垂直線ー正午線を体感できる姿勢
いつも不安定に刻々と変化し続ける身体を通して、そこに微妙なバランスをとる感覚によって感得されるのが中心ー正午線
正午線は上と下、両方向へ身体そのものから抜け出ることがあり得る
上方へは頭頂から遥か無限の天空へ、下方は地下へ、地球奥深く、地球の中心へ、地球の反対側の地表から抜け出て、下の天空へ
正午線は感覚であると同時に意識であり、イマジネーションであり、時には意志でさえある
正午線は合掌と関連する
心身が落ち着かないときはあえてこの合掌をして心を静める、それにより正午線も感得しやすくなる
合掌など正中面に全身、各部が合致してくると、自分でするのではなく、自ずとできてしまう、成ってしまう
合掌は精神的には陰陽の調和、統一、謙虚や平安の気落ちのシンボルで、宗教の行法や儀式に多用される
人間が人間になった原点は直立二足歩行であり、一人前のことを一人立ちと言う
人の足の裏の面積は体表の1/200であり、直立して活動することは、重力をどのように受け、活かすかが大切な課題となる
背骨を立てる坐禅も、武道の姿勢も、あらゆる人間の動作も身ごなしも、重力との関係の展開法
直立を崩す姿勢・身ごなし「おじぎ」は、重力に身を委ね、その垂直、縦軸を倒し、地に伏そうとする姿勢
双手上げは、天地を讃え歓喜する万歳であり、自己を全面的に放棄するかのようなギブアップポーズでもある
直立二足歩行は、人間の重力との関わり方を決定的に変容させ、手指の自由や脳の発達が生じ、意識も変革された
足づかい、足構えこそ、重力を活かす基本、型を裏打ちする精髄であり、伝統武道では「浮身」と呼ぶ
しっかりと大地に踏ん張ったり、頑張ったスタンス、ステップは、「居付き」の状態となり、一か所、一事に捉われ、視野も狭くなり、体の動きも自由もなくす状態となる
居付かないステップは、観音菩薩が蓮の華の上に乗って立つ姿(はっきりとそこに立ち存在しているが、重力に呪縛されずに立っている)に象徴されている
Existence存在という語は、Ex外へ、Stance足の位置・スタンス、から成っている、つまり今立っている位置から出ること
自分がそこに立っていることを見定め、同時にそれにとらわれず、そこから展出する自由、勇気を含んでいる



