寺田あきの「初めてのミセス祭」 | 一般社団法人プラチナミセス・ジャパン(PMJ)

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家族をあげる、仕事をあげる、自分をあげる。キレイと元気のために毎日の生活に日々手間をおしまず磨きをかける。そんな積み重ね上手なミセスたちが、仲間や地域・社会との関わりを持ち、幸せな生活をデザインし夢や豊かさ美しさをつくるための活動をしています。

今回のブログテーマ「初めてミセス祭に出展した時」

について、寺田あきが担当いたします。

 

初めてのミセス祭は、

(正確には プラチナ・ミセス祭 なのですが、ミセス祭 と呼ぶのが脳に定着してしまっています) 

その時には意識していませんでしたが、

その後の私の人生に大きな変化をもたらしました。

 

断片的な記憶しかないのですが、このシーンは覚えています。

第1回プラチナ・ミセス祭の説明会に行ったところ、現スタッフの葉山に呼び止められ、

「ねえねえ、この後、残って、スタッフのお手伝いをしてくれない?」と言われました。

その日、特に用事もなかったので、「いいよー」とものすごく気軽にお返事をしました。

その時の私は、「今日、残って何かを手伝う」程度の認識だったのですが、

後々気付いたら「サブリーダー」という名前が付いておりまして・・・

今になって思えば、なんて安易でお気楽だったんだろうと冷や汗が出ます。

出展者をグループ分けし、それぞれリーダーとサブリーダーがまとめるという形でしたが、

サブリーダーなんて名前をいただいても、イベントに出るということ自体、まだ2回目という超初心者。

何もわからず、果たして何かのお役に立てていたのかどうか・・・。

 

でも、搬入を含めての3日間が、とにかく楽しくて仕方がなかったことだけは覚えています。

予算も何もない状態でしたので、小道具になりそうなものを全て持ち寄りで、会場設営をしていました。

お花の先生方やイベント経験豊富な先生方が、何もないところからデパートのショーウインドウのように作り上げていく様子に驚いたものです。

とにかく、見る物聞くことすべてが新鮮で、こんな世界があるんだと全てが勉強になりました。

そして、3日間が終了し、通路で終礼をした時に、

大人になって経験したことの無いような達成感に包まれたことを覚えています。

あの時の感動は、今でも忘れません。

「文化祭みたい」に感動したと言っていましたが、実際の高校の文化祭よりもはるかに力を注ぎ、

その分、大きな達成感を皆さんと共有することができました。

 

その後、毎年少しずつ形を変えながら、ミセス祭は続いていますし、

私自身の講師活動も10年目になりました。

大きな一歩を踏み出すきっかけとなった、第1回プラチナ・ミセス祭。

あの時に、迷う余裕もなく踏み出していて本当に良かったと思います。

おかげで、多くの方と出会うことができました。

 

「ミセス祭に出ませんか?」とお誘いすると「私なんてまだまだ」とおっしゃる方が多くいらっしゃいます。

でも、「まだまだ」と自分で決めてしまうのはもったいないことかもしれません。

自分が「今」と思った時には、もうチャンスはそこに無いかもしれないのですから。

7年前に何もわからないまま一歩を踏み出した自分に、よくやったと言ってあげたいと思います。

今、出展を迷っている方、私にメールをください。

ぽんっと背中を押して差し上げます。

 

【投稿者 寺田あき

 

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