天気予報の通り、いいお天気は昨日まで…今日は午後から曇りがちでした
昨日は暑すぎたの
と睡眠不足でも〜〜バテバテ
今日は1日家にいるから、けど気圧が低くなると思うように動けんなるから、朝のうちにやる事を片付けておいて、午後からはまったりしておりました
明日から暫く梅雨空が戻るというので、少しは涼しくなるかな…湿度が高いのは堪えるけどね
お互い天候の変化で体調など気をつけましょうね〜〜
ほんじゃ〜〜
今日は
書きかけて放置していたテレビネタの続編だす
見んでえ〜〜よ〜〜😚
5月14日に亡くなられた「探偵!ナイトスクープ」の最高顧問
キダ・タロー(享年93)
その追悼番組が、5月31日に放送されました
今回は、その続編です
前回は、大阪の岸和田市にある「通りゃんせ」が上手く歌えない「音痴な信号機」について🚥
キダ先生初登場の回でした
コレも笑えた
そしてここからが、今回のテーマの真髄
キダ・タローの代名詞「浪花のモーツァルト」が誕生した回
1990年2月17日放送「探偵!ナイトスクープ」より
依頼内容は「キダ・タローさんは何故、先生と呼ばれているのか?」
調査にあたったのは、当時の探偵
かつて「替え歌メドレー」で一世風靡した、あの超高速頭回転男←と勝手に呼んでいる😁
嘉門達夫氏
その嘉門探偵が、直接その真相を追求すべく、当のキダ・タローに密着取材
独自の見解でその謎を解き明かす
以下、キダ・タローと彼にまつわる人々へのインタビューを交えて、嘉門探偵のナレーションで展開されていきます
じゃ早速
途中動画たくさん貼りまくっていますが無視してね😅
「浪花のモーツァルトの軌跡」
キダ・タロー59歳。
昭和5年、宝塚に1人の天才が生まれた。
名は、太良(たろう)。
ご近所でも評判の男前であったという。
キダ「女装して張り込みができる刑事ってのは、まあ…近所の奥さんワイワイ言っとったという記憶がありますわね。5男1女の中で、私が一番父親に似てるって言われて」
(ところが…)
キ「連日、張り込み張り込みで…どれだけ出前取っとったかと思うんですよ。そこで私は、こういう曲を作ってみたんですねえ」
「あ〜〜らよ♪出前いっちょ〜〜♪」
父の尊敬と愛を忘れぬキダ・タロー。
そして、美しい母の思い出も、この美しい旋律となった。
「恋しいな〜〜♪母さんの味♪あ〜〜越中♪日本海〜〜みそ♪」
キ「ま、私が言うよりは…たまたまね、ここに通信簿がありますねん」
嘉「はあ…やっぱり、音楽の成績はよかったんですね」
嘉「覇気に乏し、惰弱…?」
キ「グータラ、いう事ですね」
嘉「責任感乏しく…注意散漫で、だうらく(道楽)である…?」
キ「いや、こういうのを当時、天才肌やって言うんでしょう?」
「日清焼きそば食べよ♪」
金持ちのボンボン太良は、関学中等部へ入学。
そして高等部16歳のある日、彼の秘めたる才能に火をつけたのは、兄のアコーディオン。
鍵盤に指をあてた瞬間、内気でグータラな彼の心は、熱く燃えた。
やがて彼は、学生バンドを結成。
学生バンドに味を占め、バンドマンとして生きる道を選んだキダ・タローは、寝食を忘れ、ピアノの練習に明け暮れた。
昭和24年、19歳の彼にとって、忘れられない年であった。
当時、難波にあったキャバレー「パラマウント」の作曲依頼が舞い込んできたのだ。
生まれて初めての作曲…歌うはNo.1ホステスの双葉(ふたば)さんであった。
嘉「双葉さんね…なんかちょっと、手ぇ出したりとか何とか…口説いて?」
キ「いやあ、当時の19歳って純ですから…心の中で燃える思いをもう、相手に伝えられない」
嘉「双葉さんに?」
キ「はい。ですからまあ、プラトニック・ラブ。しかしまあ、何ですねえ…絶世の美女!」
嘉「絶世の美女?」
「パラマウントは〜〜パラマウントは〜〜♪この世のパラダイス〜〜♪」
(音源なし。キダが自ら歌う)
(嘉門、その双葉さんのところを訪ねる)
嘉「この歌を作ったのは、あのキダ・タローさんで、そして双葉さんに憧れてたんですよ。キダ・タローさんがねえ」
(なんと…)
(後の「かしまし娘」の長女、歌江さんではないか!)
歌江「嘘ばっかり(笑)まあ…私があんまり、あの…売れないもんやからね。バンドの人がみんな、お金出し合ってね…私を指名してくださった事もありましたよ」
嘉「へえ…」
歌「双葉さん呼んでやろって、みんなで指名してくださってね」
嘉「ほう…」
歌「で、その当時ね、バンドマンったら我々の憧れの人でね。けどその中に、キダさんがいたっていうのは、全然記憶にないんですよね」
嘉「まあ、影が薄かったんでしょうね。キダさんは」
かくして、キダ・タローは、作曲家としての人生を歩み始めたのである。
「東に服部良一あらば、西にキダ・タローあり」と言われるまでに、そう時間はかからなかった。
彼の煌めく才能と、親譲りのルックスに当時、多くの女性が心をときめかせた。
「アホ♪アホ♪アホ〜〜の坂田♪」
やがて、レモンレモンズの美千代さんのハートを射止め、昭和39年4月、見事結婚へとゴールイン。
嘉「プロポーズの言葉は、何でしたか?」
キ「あのね、特にやってないんですね」
嘉「ほーほー?」
キ「でね、ご両親に気に入られました。そしてあの、弟が2人おるんですが、その…物に弱いタイプやったんで、贈り物でね…はい」
嘉「弟の…周りから?」
キ「そーそー」
嘉「プロポーズは?」
キ「はい」
(プロポーズ大作戦」の曲が流れる)
嘉「で、この名曲が生まれた訳ですな?」
キ「仰る通りです」
嘉「ははは…」
キダ・タローが手掛けた番組は、必ずヒットするという。
(嘉門、当時の「ラブアタック」ディレクター・松本修氏のもとへ)
「ラ〜〜ブアタック♪ハァ〜〜かぐや姫〜〜♪」
松「はい。キダ先生に作曲をお願いしたおかげで、視聴率は鰻上り!」
嘉「はあ…」
松「裏番組に視聴率をお裾分けしたいくらいに、おもしろいくらいに視聴率が取れました」
嘉「なるほど〜〜」
松「モーツァルトの、アイネ・クライネ・ナハトムジーク…ご存知でしょうか?」
(歌ってみせる)
松「そして、ラブアタックの、早食い競争の音楽」
(歌ってみせる)
松「これがですね、非常にモチーフに、共通の感性が…なので、これ一緒に歌う事ができるんです」
(両方を繋げて歌ってみる。まるで違和感なし)
松「キダ先生が200年早く生まれていらっしゃったら、今頃モーツァルトは、ウィーンのキダ・タローと呼ばれていたのではないかと…」
何はともあれ、一度聴くと忘れられないのが、キダメロディー。
作曲家生活40周年の総決算である。
モーツァルトは、自らの才能を出し尽くし、35歳の若さでこの世を去った。
「浪花のモーツァルト」キダ・タロー59歳、未だ健在。
憎まれっ子、世に憚る…
「そうや?それがどないしたんや?」
おわり。
スタジオ大爆笑
ここで嘉門さん、補足します
「あとね、僕らが知ってるメロディーで、有馬兵衛向陽閣のCM」
https://youtu.be/B3_jVnsAaxU?si=jMe1_GUJDv23wuxy
最後に、当時の局長・上岡龍太郎さんがキダ先生に聞きました
そこでキダ先生は答えました
「いや、抵抗ありますよ
あのね、あの日本ではやっぱりあの、一流の作曲家と言われるには、2000曲なかったらダメなんですよね
私まだ半分(当時)ですから、まだこれから先作っても、とても届かないですね
」
そして最後に
以上が、伝説の回「浪花のモーツァルトの軌跡」でした
ま…依頼の答えが曖昧になってしまった回ですが、あのサラッと上品な毒舌と、それにもう作曲家という時点で既に「先生」なのではないかと私は思います
ちなみに、この回が放送された1990年の時点で、キダ先生は自身の曲は1000曲と仰っていましたが、最終的には5000曲近く作られたそうです
ところで余談ですが、私個人として、キダ先生の「かに道楽」と、同じく作曲家の喜多郎さんの「シルク・ロード」のテーマ曲の頭の部分がよく似ているなと思っています
ぁ。念のため
おそらく、キダ先生も多く使われている「ペンタトニックスケール」という音階が、この曲にも採用されているからかなと思います
前にも少し触れたけど、日本ではそのペンタトニックの中でも特に「ヨナ抜き音階」といって
1から7まである音階のうちの4番目と7番目の音を抜いた音階で、民謡や演歌などに多く使われています
が、それはあくまでもメジャーコード(長調)の場合であって、マイナーコード(短調)には当てはまらんのですけどね😅
つまりキダ先生の曲は、その日本人に聴き馴染みのある「ヨナ抜き音階」が多用されているため、一度聴いたらずっと頭に残るキャッチーなメロディーって事になるのかなと
またその「ヨナ抜き音階」については、別の作曲家たちのおもしろい例もいくつかあるので、それはまた別の機会に
とにかくキダ先生は、日本人の心に響く数多くの曲を作って来られた人やったんやなと改めて思いました
そして番組では「東の服部良一、西のキダ・タロー」と言っていたけど
どちらかといえば、東は山本直純さんのほうが近いかなと
山本さんも、テレビ番組のテーマ曲やCM曲を多く手掛けた…言わば大衆音楽の巨匠やし
「森永エールチョコレート」とか、「8時だョ!全員集合」のオープニングの曲とか😊
キダ先生…ホンマは「浪花のモーツァルト」ではなくて
知らんかった〜〜〜
残念ながら、その記事間違って処分してしまったためないんですが、関連の記事を見つけたので載せておきます🙇♂️
まあね「浪花のモーツァルト」は、元はと言えば「探偵!ナイトスクープ」が勝手に言っていただけやったからね
けど先生かて、その番組で「自分は最高顧問」と言っていたのも、先生の自称らしいから、まあ…おあいこですやん
ホンマの最高顧問は、横山ノック氏らしい…懐かしや〜〜😅
そんな訳で、キダ先生の夢である「浪花のショパン」の呼び名は、そっとポケットにしまっておいて
コレいっとき朝ドラでリバイバルしたってホンマ😅?
やっぱりキダ先生は
「あると」の「あ」で正解やったと思うなワシ
主人公・あるとちゃんの名前の由来は「モーツァルト」から取ったらしいよ😊
ってダジャレにもなってない
どっちも懐かしいね〜〜また読みたくなってきた😅
とにかく、偉大な作曲家でした…改めてご冥福をお祈りいたします
以上、本日ここまでどす🙇♂️
訪問がアホほど遅れております…毎度ゴメンやす
では〜〜明日もご安全に〜〜
おーきにです〜〜ほなね〜〜