どんなにイヤな人でも呪っちゃいけません。忘れてやりましょう(^^) | あかねとでんでん

あかねとでんでん

CASK遺伝子異常症だったあかねの事と
あかねが大好きだったでんでんの旅の記録です

以前書いた記事のその後。

 

 

住職家では昨年末にはすでに離婚が成立してたそうで・・・。

 

奥さんが年末に出ていった時は子ども3人もいなくなっていたので連れて行ったと思われます。ところが今年の1月中旬にお寺で行事があった時には子ども3人帰ってきてました。もちろん奥さんは帰ってきてませんでしたが。

 

奥さんがいてた頃は子ども3人のお世話をほぼ1人でしてたので、どうしてんのかなあと思ってました。家族構成は80代の先代住職夫妻と、住職と3人の子どもの計5人。3人の子どもは全員知的障害があります。食事・洗濯・掃除は先代住職の奥さんと住職が分担することになり、引退してた先代住職も檀家参りに復帰。その復帰したときの第一声がすごかった。

 

「いやあ、まさか子ども置いて出るとは思わなんだ!」

 

いやいや、あなた達が連れ戻したんでしょ?親権を巡って裁判になるって聞いてますよ~。そもそもこれでバツ2じゃないですか。ちょっとは自分らに非があったんじゃないかなって思わないんですかねえ?

 

おまけに

「子どもはみんなお母さんはキライやって言うてる」

 

ホント、とんでもない住職がいたもんです。もし本当にそうだったとしても近所に言って周るもんじゃないですよねえ。

 

うちの子どもらともちょっとづつ学年が被ったりしてて、住職の出ていった奥さんも知り合いでしたが、我慢してるのは良~く分かりました。

 

そして住職。

 

つい先日、近所の人のお葬式があったのでぼくも参列させていただいたのですが、そこへやってきた住職を見てビックリ!

 

半分になってました!

 

ほんの数ヶ月前は恰幅が良く、身長175cmぐらいで体重は90kg以上はあったんじゃないかと思うのですが、頬はこけ、顔色は悪く、吹けば飛ぶような佇まいでした。

 

めっちゃ堪えてるやん・・・(^_^;)

 

お通夜での説法では「人間生きていると色んなことがあります。分岐点もいくつもあります。その時々で最善の道を選んできた訳です。ああしたら良かったのかな?こっちを選んでおけば・・・じゃないんです。選んだ道が最善の道。過去のことを振り返っても仕方がありません。重要なのは今なんです。生きてる今を大切にしなければいけません」

 

全然反省しとらん!って言うか、自分の近況を語ってどうすんねん!最後まで故人の話は全くしませんでした・・・。

 

ツッコミどころは満載でしたが、ほとんど聞き取れないほど小さい声でぼやいてた感じだったので、だいぶ病んでるのかも知れません。

 

この住職、精神的に病んでるなと思ったことがあって、うちに来た時に「公園とかで幸せそうな健常な家族を見たら、不幸になれ!って思いますよねえ?」と聞かれたことがあります。うちもあかねが重度の身体障害者だったので、障害を持つ家族がいる人はみんなそう考えると思ってたようです。

 

ぶっちゃけ1mmもそんなこと思ったことないですけどねえ・・・。

 

もっとも、そもそもあかねと暮らしていて不幸だと思ったことが一瞬足りとも無くて、24時間の完全介護の子どもだったので毎日が大変でしたが、体調が良い日が続くとそれだけで幸せでした。そんな当たり前の日々がずっと続くように医療の進歩を願って一生懸命あかねと一緒に生きてきました。それが叶わなかったことが悔しいって言うのはあります。ただ、だからといって他の家族と比べるもんでもないので、羨むっていう感覚はやっぱり無いです。

 

ぼくにもイヤな人は結構います。その筆頭が実の姉で、例を挙げるとキリがないのでやめますが、まあ、口ばっかりでなんにもしないロクでもない人間です。

 

ただ、こればっかりはどうしようもないんですよねえ。消すわけにもいかないし、改心させることもできないし・・・。でも考え始めると無性に腹が立つ。

 

忘れたら良いんです。

 

自分の行動範囲からできるだけ遠ざけるようにし、意識して存在を忘れるようにしてます。家が近いし、同じく近くに住む母は普通に話題に出すのですが、今では右から左へ受け流すことができるようになりました。なので姉の話はほとんど覚えていません。

 

姉にはほとほと困らせてきましたが、かと言って呪いのワラ人形を打ちに行く時間があったら、全く別の楽しいことを考えたりしてた方がよっぽど良いです。

 

住職も他の家族を見て妬むよりも、自分の家族と向き合うべきだったと思います。

 

「幸せそうな顔をしやがって!不幸になれ!」と呪うよりも、「うちの子達が大人になっても笑って暮らせるような場所を作ろう」とお寺で何か福祉活動ができないか考えた方が良いと思いませんか?

 

先代の住職、そして今の住職とこれまで色々言われたりイヤな思いもしてきたので、バチがあたったなあという気持ちは正直あります。でもそういうのを持ち続けるのは呪ってるのと似たようなものなので、もうこれで忘れていくことにします・・・(^_^;)