「目のまえの現実は 自分が作っている」
「ざわざわするときは 自分の中にその種がある」

この言葉に 私はずっと苦しんだ

「私が変われば 相手も変わる」
そう勝手に都合よく捉えていた

 

そう思わないと ここまで頑張れなかったのは事実
私が努力すれば未来は良くなる 
そう信じていないと 自分と向き合えなかった

 

でも やっとわかった 

この言葉は
相手を変える魔法じゃなかった  私にはそんな力はない


ただ 目のまえの出来事を
自分がどう受け取って それをどう感じているか・・・ それだけのことだった

 

 

私がマイナスだから嫌なことが起きている っていう話じゃなかったのか! 

そう思えたとき ずっと「私のせいだ」と思い込んできた自分の気持ちが だいぶ軽くなった


じゃあ 私は旦那の態度をどう受け取っているんだう??

離婚宣告後の彼は 自分から話してこない

それを「静かな人」と受け取る人もいるだろうし 「問題だ」と感じる人もいる

私は これは大問題だ!と感じている

じゃあ どうしてそう感じるの?と自分に聞いてみたら
すぐにある記憶が浮かんだ


「いじめ」

 

私の田舎は北海道のとっても小さな町 
小学校から中学校まで9年間 同じメンバー

 

私の家がある方角には 私を含め3人の女子が住んでいた

A :いじめっこのリーダー

B :ABの親同士はとても仲がよい Aにずっとくっついてるタイプ

私 :目立つタイプ

 

入学早々 Aは頭角を現し いじめが始まった

Aのいじめはその日の気分でターゲットが決まる

 

毎日ひやひやしながら 私はABと合流していた

 

Aのいじめは 「無視」 「仲間外れ」

一旦ターゲットが決まれば その日はずっと女子全員に仲間外れにされる

 

朝いちばんに Aに合流する私は いじめのターゲットになりやすかった Bはターゲットにはならなかった なぜならAとBの親が仲よしだったからだと思う

 

朝の登校 Aが私には一切話しかけない

私はすぐに あ 今日は私がターゲットだとわかる 
AとBが前を歩き  私は2人に話しかけれずに 2.3歩後ろをただ歩いていく

声をかけたら もっと拒絶されるかもしれない。
そう思うと 何も言えなかった

声をかけること自体が怖いことだった

 

通学路は ただ長いだけじゃなかった。
ひと気のない場所で不審な車が止まってることもあった 実際 私が低学年のころに 被害にもあった

 

私は小さいながら 無意識に「一人=危険」と感じていたと思う 

だから 二人から離れて歩くことができなかった

どんなに辛くても後ろを歩くしかなかった

一人になるのは 危険で怖いことだったから

それが 9年間 続いた

 

今 旦那が何も話さないとき 私は無意識に 旦那=Aと結び付けていると思う  

B=息子 

 

「無視されている」
「私は嫌われている」
「一人になる」

「一人になることは危険」

いじめのときの気持ちがそのままとっさに自分のなかによみがえっている

 

何度 いじめの記憶と向き合っても まだやっぱり涙が出る

そして やっぱりいじめは相当根深く私の中に刻まれていたのか・・と思った

 

Aと旦那を結び付けている まさか・・と思ったけれど Aの態度と旦那の態度は一緒で それに対する私の態度もまったく同じだった 我慢すればその日は終わる 私が我慢していれば 私は一人にならずに危険にさらされない

40年も昔の思いがいまもまど私のなかで生きていた

 

離婚宣告されて 旦那が私に対してシャッターを下ろしてから 私はずっと当時のいじめられていた構図のなかに自分を置いていた


もう怖くないよ もう一人で大丈夫だよ 私はもう大人だよ 大丈夫だよ 

あのときは我慢しかできなかった

でもいまの私は我慢以外にも選択肢があるんだよ 選べるんだよ

 

そんな風に自分にゆっくりと声をかける時間を作ろうと思う