飼い主は、動物を飼う時、この子を最後まで見届けるという覚悟を決めて、

皆飼うと思います。自分もそうでした。

でも別れがこんなに早く来るなんて・・・

 

令和2年9月29日、夜22時過ぎに帰宅し、晩飯を食べていたら、母親が急に泣きだした。

『どうしたの?』

『かん太が目を閉じて・・・起きない・・・』

『・・・』

すぐにかん太が死んだとわかった。呼吸が乱れ、心臓がバクバクした。

 

かん太の姿を見ると、いつも寝ているような姿で寝ていた・・・

声をかけてもピクリとも動かない。

いつもならお腹を触られるのが嫌で蹴っ飛ばして来るのに来ない・・・肉球が冷たい・・・

 

あまりにも突然過ぎたから、ただただビックリして感情的になれないまま・・・鼓動が速くなり、

そのまま一睡も出来ず、朝を迎えた。眠気は無いものの、気力は全くの0で、脳ミソと体がぼぉ~っとしていた。

 

死因は、はっきり解らず、毒ヘビではないかと近所の方が言っていた。

が、どうしても腑に落ちない。

獣医の同級生の女の子にも聞いたけど、ヘビに噛まれることは稀にあると・・・

でも、腑に落ちない。

何でたった2歳半でこの世とサヨナラしなければなかったのか、本当に悔しい!

 

愛くるしい寝顔やヘンテコリンな姿は、今はもう写真と記憶でしかない。

 

変わった猫で、特定の1種類のエサしか食べなかった。

シャケやさんまは見向きもしない。しかもそのエサが湿気ってしまうと食べない・・・ちょっと贅沢猫ちゃんだった。

うちの親父のことが大好きで、『ぽちゃ行くよ~』って言うと、寝ていてもすぐに起きて、急いでお風呂場へ駆けて行った。

普通の猫は、水が嫌いで嫌がるのに、かん太はお風呂の蓋を敷いてもらい、

その上に乗っかって湯舟に浸かった親父と見つめ合い、リラックスする。

そんなことを毎日毎日、繰り返していた。うちの親父も相当ショックだったろうなぁ。親父の足元で寝ていたから。

 

もうちょっと一緒にいられると勝手に思っていた・・・

それがもう撫でてやることも、エサをやることも出来ない。

1日1日一瞬一瞬が大切だと改めて思った。

守ってやれなくて、ゴメンよ。かん太。ゆっくりと寝てな。

悲しくて寂しいけど、、、気持ちを切り替えなきゃね。

 

うちには他に野良猫家族5匹がいます。

かん太は、お兄ちゃん的存在で皆ととても仲良く、いつもジャレ合っていました。

かん太、皆元気だから、心配しなくていいよー。

5匹共、仲良くしてもらったこと、きっと忘れないでいると思うから、安心して。

 

今、かん太はうちの山に眠っています。

先代のワンコ達も同じ山に眠っています。

雪が降る前にブロックと白石を使って、お墓を作ろうかと思います。

ゆっくりと陽が当たる温かい場所に。

 

<うちに来た頃のかん太>

 

<ウルトラマンになりたかった頃のかん太>

 

<気持ち良さそうなかん太>

 

<ヘンテコな寝相-1>

 

<ヘンテコな寝相-2>

 

<ヘンテコな寝相-3>

 

<テレワーク監視中のかん太>

 

<大好きなかん太>

 

 

 

 

 

水道の復旧に携わり、時間が経つにつれて、嫌なものがやっぱり出てきた・・・

それは・・・
今後、発生するであろう”本復旧”を見込んでの
『いい人を演じる方々、いい人の振りをする人』が出没してきた。
何でだろ?こんなにみんな一つになってやっているのに!ほんとに嫌だなぁ。
未だに避難生活を余儀なくされている方々に対して、何を思っているのか?
全くもう、そういう人は、町の中に入って来ないでほしい!

でも、ご安心あれ。
何故か見抜くことが出来ます。直感で・・・
自分達の私利私欲のためだけに、言葉巧みに”復興のお手伝い”はやめてほしい。

僕は僕なりにあともうちょっと、踏ん張りたいと思います!




んんん~、9月に今回の震災に対しての”災害査定”という国の審査?があります。
国のお金を使っての復旧だから仕方ないと思うけど、
これが復旧へ隔たりや復旧進捗率の低下を招いているような感じもする・・・

ん~とにかく、あともう少し、頑張ります!
南三陸の水道の復旧は、ほとんどが仮設。

仮設なのに、まだ、住民の皆様に”水”を届けることが出来ないでいる。

それだけ、甚大な被害。

規模がでかすぎる。

復興に携わり、いろんなことを思い、感じながら、過ごして来た日々。

この町に活気あふれる笑顔を必ず取り戻すと誓ったあの日。

”普通”ってほんとに幸せなんだなぁと痛感している今日この頃。



水源の塩分濃度、いい加減下がってほしいな。ほんとに。

工事は進んではいるものの・・・

もどかしい・・・

何故か、空回りしているような感覚・・・

回りの方々のストレスも感じるようになってきた。

見えない敵と闘うって結構、応える。

そろそろ、結果を出さないと!

深呼吸して、目を閉じてみる。

ゆっくり閉じてみる。

もうちょっと、もうちょっと。

慌てず、じっくり、光を目指して、歩くしかない・・・よなぁ~。



そーだ、”音力”注入しよう!!
3ヶ月。
ずいぶんと暖かくなりました。
南三陸町は復興のため、心の景色も前とは変化したように感じられます。

が・・・

自分が担当している水道は、まだ完全復旧していません。。。
テレビや新聞、ラジオの報道を観たり、聞いたりすると、本当に心苦しいです。
住民の皆様より、町長へ嘆願書が提出されました。
お気持ちはすごくわかります。
役所を含め、水道復旧関係者の皆様は毎日、頑張っています。
ご迷惑をお掛けしますが、今暫くご辛抱願います。
水源が安定しないと何ともなりません。
早く落ち着いてくれないかな・・・。





津波のバカ!




<防波堤が破壊され道路が流出>
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

<配水管が露出>
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

<配水管の試掘を行っている作業員の方々>
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

<国道45号沿いのデパート内>
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

<志津川病院>
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

<町の意気込み!>
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

今月中には何とか住民の方々を安心させてやりたい・・・

もう一踏ん張り!!


東日本大震災から2ヶ月半。

南三陸町へはかなりの回数行きました。
震災直後と比べると少しずつではありますが、『復興への歩み』は、確実に進んでいます。

自分が関わっている水道施設も最初は終わりが見えず、
ただ”モヤ”の中を気力だけで前へ進んでいましたが、
たくさんの方々の力で仮設ではありますが、
やっと終わりが見えて来た気がします(あくまでも仮設だけど)。
役所の方々も被災されているにも関わらず、かなり頑張って下さっています。










が・・・










その頑張りをどう思っているのか知りませんが・・・
打合せしている最中、若い新聞記者の方がいろいろ質問しに来て、次の日、新聞に載ったのが、

『南三陸町水道施設復旧率1%』

デカデカと載りました。
数値で判断されちゃうと気が滅入ってしまうのに。。。
そもそも1%って何処からでた数字なのか、逆にあの新聞記者に聞きたい!
みんなが一生懸命にあの手この手で復旧対策を練っているのに!!
ほんとにもう!!!

でも、通水は開始したものの、飲料水としては、
まだダメなんです(一部では大丈夫な所もあるけど)。
水源が津波に呑み込まれてしまい、塩分濃度がなかなか下がらないのです。。。
原因はいろいろあるみたいですが、断定はできません。
ある地区では、新たな水源から水を汲み上げることになり、
かなりの仮設配管を布設しているところもあります。
まだまだ住民の方々には、ご迷惑おかけすることになると思われます。

【津波をかぶってしまった水源地】
しゅう太郎のあまのじゃく部屋

【2ヶ月半経ったけど・・・防波堤が・・・】
しゅう太郎のあまのじゃく部屋

【2ヶ月半経ったけど・・・道路崩壊・・・手の施しようがない】
しゅう太郎のあまのじゃく部屋

【瓦礫を自衛隊に整理してもらい、仮設の水道管を布設】
しゅう太郎のあまのじゃく部屋




これからの被災地で晴れの日に起こりやすいのが、粉塵。
これは車が通過しただけで舞い上がります。
アスベストの問題もあるので、気を付けたほうがいいです。
そして、小バエ?みないなのも大量発生してました。
被災地での必需品は、マスク、長靴、手袋(すべり止めがあるもの)、虫除け、
もしもの時の携帯トイレ等かな。アルコール消毒は必ずやってくださいね。

仮設の目途がつくと、今度は本設へ向けて動き出します。
動くとなると、国の基本方針が重要になってきます。
復興計画案が出来上がるのは、いったいいつになるんだろ・・・


【報告】
5月14日。
ここで支援物資のご協力のお願いをしました。
結果、たくさんの方々から連絡を頂きました。
ほんとにうれしい限りです。
車に入れられるくらい入れましたが1日では運び切れず・・・
マイカー積み込み完了↓
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

役所の方に電話したら、歌津中学校に持って来てほしいとの事。
その場所は天皇陛下もいらっしゃった場所。
自分が連絡を取り合っている役所の方は、今は水道に関係ない課にいます。
でも水道関係になくとも、まだつき合いがあります。とっても優しい方です。
物資を渡す時、
『これは私と関係のある全国のみんなからです』と伝えたら、
『このご恩は何で返せばいいのか・・・・・って言っても返せる物、無いんだけどね・・・でも、ほんとうにありがたいです』。頭を下げてました。
この方も家を丸ごと津波にやられてしまい、命からがら逃げたそうです。
住民の為にいろいろ動いています。
毎日の苦悩や愚痴を聞いてやりました。
津波を体験した方の話を実際に聞いてみるとかなりリアルでした。
やはりもう疲労困憊でしたね。
1日も早く休まる日が来るといいな。。。

約束通り、みんなの気持ち、届けて来ましたよ!
第2便も近々、行きたいと思っています。
この支援は長期に渡ると思うので、いつでもみなさんの気持ち承ります!
いつでも送ってください!メッセージくださいね!

人って背中をちょっと押されるだけで、予想もできない力が湧き出て来るから不思議~!
今回、改めて思いました。





あ・・・歌津中学校に行ったら、川崎麻世さんらが炊き出しをやっていました。
『頑張って!』って焼きそばもらちゃった・・・
避難者じゃないのに・・・
ごめんね、麻世さん。。。