この春はいったい何なのだろう・・・
何故にこんなにも連鎖する・・・

家族である、猫のいさをちゃん、犬のチロが相次いで逝ってしまった。
東日本大震災といい、相次ぐ動物の死といい・・・、忘れられない2011年の春となってしまった。

~猫のいさをちゃん~
$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

いさをちゃんは、うちの亡くなったばぁちゃんの名前。
何故にばぁちゃんの名前を付けたかというと、ばぁちゃんの葬式の日に突然、うちにやって来て、妙に人なつこく、ずうずうしい態度をとっていたの(笑)。ばぁちゃんが来たかもという事で飼うことにした。だっこが嫌いな猫だった。でも俺に懐いてくれた。腹が減るとベランダ越しにニャーニャー鳴いて、俺にえさをねだってきた。これがまた可愛かった。丸10年、うちで飼っていた。晩年は歯が全て無くなり、キャットフードをお湯でふやかして与えていた。。。食欲だけは、旺盛だったのに・・・。そして、今年の2月、俺が東京本社出張から帰ってきて、確認しようとしたら、もう既に姿を消した後だった。猫って死ぬ時、自ら判断して姿をくらますの。きっと山で最期を迎えたのだと思う。
いさをちゃん、ありがとう。。。


~チロ~
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チロは、7年前に亡くなった母犬コロの娘。このコロとチロには合わせて20年、俺に大きな大きな影響を与えてくれた。
人生の半分以上、この親子にお世話になった。
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~コロ~
母犬コロとの出会いは、高校2年生の春、友達から迷い犬を世話してもらえないか?ということから始まった。
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コロは、もとても優しく、、、頭が良く、、、俺の気持ちを読みとることが出来る犬だった。
山で放し飼いにすると喜んで、走り回っていたっけ。。。
コロはたくさんの子を産んだ。そして最後の子供がチロ。

チロは、甘えん坊で、欲張りな犬。でも、俺が日々の生活でダメージをくらった時、チロは目をそらすことなく、じっと見つめてくれた。人間を恐れず、誰にでも近寄っていった。吠えもせず、見ず知らずの人に頭を出し、なでてくれ~と言わんばかりに、人なつこい犬だった。番犬には適さない犬だったけど(笑)。

4月中旬、突然食欲が無くなり、毎朝、出勤する前に必ず、ほねっこを食べさせていたんだけど、ぜんぜん食べない。変だなと思いつつ出勤し、会社から帰ってきたら、呼吸が荒くなっていた。次の日、親に病院に連れて行ってもらい、診断の結果、原因不明との事。血液検査も異常がないので、注射して薬をもらってきた。数日後、薬が切れたので、今度は、俺が病院に連れて行った。またしても病院の先生は首を傾げるばかり・・・。不安が襲いかかる。。。その日は、注射と点滴をしてもらう。また次の日、病院に行き、もう1回、血液検査をした。そしてある数値が限度を大きく上回った。その診断結果、“急性腎不全”。医者からの説明を受け、チロの頭を撫でてやることしかできなかった。もう、回復する見込みがないと・・・。腎臓の3/4が機能停止になってしまい、手術しても無理と・・・。悲しかった。残りの時間はいったいどれくらい残っているんだろと、ただ、チロの目を見ることしかできなかった。

そして、ついに来てしまった日・・・
朝6時過ぎ、チロには時間がないと判断した俺は、チロを軽トラックに乗せて、大好きだった山へ向かい、そして楽しかった“あの頃”を見せてやった。何も言わないチロの目が、懐かしさを漂わせる目に変化し、遠くを見ていた。これが最後だと思うと、胸が張り裂ける思いがし、おもいっきりチロの名前を叫び、抱きしめてやった。目から涙と思い出がごちゃまぜとなり、どうしていいのかわからなくなってしまい、ただただ、名前を叫ぶだけだった。辛かったし、別れがやってくるなんて、思いたくなかった。


2011年5月1日午前11時過ぎ・・・
俺の腕の中でチロは、苦しんでこの世を去った。苦しんで苦しんで、耐えていたチロ。。。でもね、チロは頑張ったの!すごく頑張った!!動かなくなったと思ったら、2回生き返ったの。悲鳴に近い鳴き声を出し、瞳孔が開いて、10~15秒くらいグッタリとなって、息もしていなかったから、もうダメかと思ったんだけど、突然、心臓が動きだし、息を吹き返したの!3回目の奇跡はなかったけど、最期まで生き抜こうとしたチロだった。

チロ、お疲れ様。ゆっくりおやすみ。これで、苦しみから解放されるね。

そして、コロが眠るお墓の横にチロを埋めてやった。自宅の山なので、すぐに会いに行ける!
生前は、どこに行くのにも一緒だった。今でもチロの残像が見える。軽トラックのサイドミラーを覗くと、風に当たる気持ち良さそうな顔をしているチロの顔。チロ~って呼ぶと、『何だ?』っていう顔をしてこっちをみる顔。お手って言うと、面倒臭そうなお手をするチロ(笑)。田んぼのあぜ道で一生懸命に臭いを嗅いでいるチロ・・・。ふと我に返ると、残像のチロが消えていく。。。

これからさびしくなるなぁ。。。
チロ、あなたのこの笑顔、大好きです!
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大好きなチロへ・・・
あたなにとってどんな犬生だった?
馬鹿なご主人様でごめんね。
病気のこと、早く気が付いてやれなくてごめん。
最期、苦しませてしまって、ほんとうにごめんね。
もっと、遊びたかったでしょ?
今度はコロと一緒におもいっきり走り回ってね。
いつか、俺がそっちへ行くときは絶対に迎えにきてちょーだい。
また、一緒に遊ぼうね!
それまで、お互い、悲しむのは止めにしよう。
俺も命の期限が切れるまで、精一杯、こっちで頑張るからサ!
また必ず会いましょね!!

$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

$しゅう太郎のあまのじゃく部屋

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いさをちゃん、コロ、チロ、今まで本当にありがとう!!これからは俺の心の中で生き続けてね!
南三陸の現況写真。
南三陸町は、旧志津川町と旧歌津町が合併して出来た町。平成の大合併で。
TVで報道されているのは、ほとんど”志津川地区”となっています。
後日、歌津地区の写真もupしたいと思います。


標識がめちゃくちゃ。
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これがJRの駅です。。。『しずはまえき』
レールが・・・。
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駅周辺のパノラマ。ここにも本当はレールがあったのに・・・
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ここは公園でした。遊具が悲しげに横たわっている。
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この子は無事なんだろうか・・・祈るしかないです。
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ここの写真って大きくならないのかな?


さてさて、支援物資についてですが、
ご協力して頂ける方は、ペタではなく、
メッセージとして【支援物資協力】と書いて、送ってください。
支援物資の期限については、特に設けていません。
ツイッターは、フォローして頂き、リフォローしますので、
リフォロー後、DMで【支援物資協力】として送ってください。@shutaro730913
支援物資の第1便は、自宅にて田植え作業があるので、それが終わらないと動けないのが現状です。
今のところ、早くてGW後か、次の週になると思われます。
もちろん、その後も持続していければと思っています。
よろしくお願いします。


H23.4.26 しゅう太郎
突然ですが、ブログ、やることにしました。
期間限定だけど・・・でも気まぐれだから、続けるかも?

“東日本大震災”

こいつは手強い相手です。
こいつについて、ちょっと書かせて頂きます。
長くなりますが、お付き合いください。

あれから1ヶ月ちょっと。
いろいろ考えた1ヶ月ちょっと。
気が付いたら、地元の桜の名所は、満開になっていた。
自宅から車で10分ほどの“一目千本桜”
しゅう太郎のあまのじゃく部屋-一目千本桜
桜はめちゃくちゃきれい!!
本当なら心地よい風が吹き抜けるような気持ちになるはずなのに・・・
今年の春は特別な春になっていた。

3月11日14時46分。
仙台市内にある会社で、勤務中に大地震が発生。同時に事務所内は轟音と共にほこりが充満し、停電。棚は倒れ書類が散乱し、屋根、天井、壁のあちらこちらにひび割れ。外に出ると、他の会社の方々も不安そうな顔で怯えていた。
ちなみに会社の天井(俺の真上)↓
しゅう太郎のあまのじゃく部屋-天井
夕方、帰宅指示が出たので、会社の車で帰宅途中、ラジオから『南三陸町が大津波により壊滅した』と聞こえてきた。“南三陸町”は自分が水道の設計を担当している町。もう、気が気じゃなかった。今までお世話になった方々の顔が次々と浮かんだ。そして、車窓から仙台港方向を見ると、大火災で空がオレンジ色になっていた。。。

南三陸町の大津波
凄すぎるってもんじゃない。通い慣れた町が一瞬にして壊滅。もう、こういう動画は懲り懲りだという方もいるけど(俺もそうだけど)、、、これが実際起きた災害。辛いけど、復興する為にしっかり目を背けず、立ち向かわないといけない。悲しませてしまったら、ごめんなさい。
南三陸町大津波の瞬間↓
http://www.youtube.com/watch?v=at7KgXEkRrs&sns=em

帰宅後、自宅は、電気、水道がストップ(ガスはプロパンなのでOK)。
自宅の被害は、作業場の壁が落ちたぐらいで大したことはなかった。自分の部屋は、もともと汚いのか、地震ですごいことになったのか、あまり驚かず、こんなもんかと思ったけど(笑)。
電気がないから、ロウソクの灯りでの食事。静かすぎる・・・。この静けさは、“いつまでこんな生活が続くんだろう?”という不安感をあおる。そして、忘れもしない言葉。不安感に追い打ちをかける言葉が、静まり返った暗い部屋のラジオから聞こえてきた。

『荒浜の海岸に100~300人の遺体が打ち上げられている模様』

この発せられた言葉には、正直、気が遠くなっていく感じがした。
体験したことのない絶望感。
なんという事が起きてしまったのだろう・・・
夢なのか現実なのか、判断できなくなってしまい、気が高ぶったまま、その夜は、余震に備え、すぐに逃げられるよう、服を着たまま一夜を過ごした。。。

次の日は、水の確保に急いだ。運が良いことに、近所の家で山の水が濁らず出ていることを聞きつけ、新しいゴミ袋をでっかい桶に入れ、台車で父親と歩いて貰いに行った。
次は食料。地震で被害があったのか、お店の方々が入り口前で露天販売を行っていた。人、人、人・・・。みんな考えることは一緒。カップ麺、レトルト食品は既に売り切れだったが、何とかちょっと食品をゲット。そして次は、ガソリン。今となれば、何だったんだろ?自分は、あの行列に並ぶのは、意味がないように感じていたので、落ち着くまで待つことにした。新車を購入したばかりなのに、動かせないので外に出したままにしていたら、白の車が黄色くなっていた。
何だこの粉は・・・?車は、杉花粉仕様になっていた(泣)。

あっという間1日が過ぎ、また夜が来た・・・寒い夜が。。。
季節外れの雪も降るし、電気が復旧するまで、寒さを凌ぐのがとにかく辛かった。

そして1ヶ月が過ぎ、現在では自宅付近は元の生活に戻っているけど、いろいろと考えた。
南三陸町のこれからの事、避難所の方々の事・・・。何かをやらなければならないと考えれば考えるほど、空回りしている自分。。。とにかく、町民の方々に1日でも早く水を使用できるようになるまで、仕事に集中することにした。南三陸町へ行く度、悪い夢をみている感じがして、なかなか現実を受け止めることは出来なかったけど、被害状況を調査し、やっと全体的な構想が出来上がった。詳しいことはここにはかけないけど、今週、やっとやっと水を配水池(山にある水を貯めておくタンクの事)へ送り、一旦貯めて、通水し、配水管の漏水個所を調べられる状態にまでなりそう。各家庭への給水に至るまではまだ時間がかかるかな・・・

つづく・・・願い(2/2)へ↓
↑からの続きです。


さて、ここからが本題です。長くなっちゃってごめんなさいね・・・。
心配なのは避難民の方々。特に自宅避難民の方々。
役所の方と連絡を取り、情報を得たいと思います(現場の方々に聞いたところ、実際、変な団体も来ているみたいなので注意しないといけませんし、地元の方々も警戒しているそうです)。
そこで、皆さんにご協力して頂きたいことがあります。
皆さんの力をお借りして、支援物資を届けたいと思っております。
個人では限界がありました。
自分の場合、車で直接現地に出向くことが出来ます。
仕事で被災地へ行っていますが、搬送は、なるべく仕事とは別にしたいので土日で行くか、有給休暇を取って行くことが出来ればな~と思っています。仕事と一緒になると中途半端になるので。。。

流れとしては、皆様より私の自宅か最寄りの宅急便集荷場(営業所)へ物資を送ってもらい、車に積み込んで、支援を求めている方々へ直接搬送しようかと思います(大きい避難所以外の場所)。
もし、ご協力して頂けるのであれば、下記の方法でご連絡頂けますでしょうか?
詳細事項が決定次第、詳しい内容を追ってご連絡致します。
連絡方法として、ここのメッセージツイッターを利用したいと思います。

メッセージ【支援物資協力】として送ってください。
ツイッターは、フォローして頂き、DM【支援物資協力】として送ってください。@shutaro730913 
ハンドルネームがあるとわかりやすいです。

最後に自宅で感じられた春を送りまーす!

$しゅう太郎のあまのじゃく部屋-春・・・その1

$しゅう太郎のあまのじゃく部屋-春・・・その2

$しゅう太郎のあまのじゃく部屋-春・・・その3

みんなの気持ちを届けられますように!
そして、なが~く、なが~く、この輪っかが繋がっていきますように・・・

H23.4.23 しゅう太郎