Fa7vXtfH1L.jpg
 実は私、子供の頃から厨二病という持病がありまして、基本コミュ障の超インドア派のインキャです。前回お伝えしました通り、今日はそんな私の悲しい一輪車の思い出を聞いてください。

 それは私が小学校4年の頃、その頃はよく家に直接色々な売り込みが突然凸してくるような時代。その時は英会話教室の勧誘でした。鍛え抜かれたセールスレディの入会への誘いにも母は鋼の心で決して揺るがない姿勢。そんな鉄人母を横目に私は入会するともらえるという金メダルに心は釘付け。百均でも買えそうなその金メダルがインディジョーンズもびっくりの一生に一度のお宝に見えてしまったのだ。そんな私の様子を百戦錬磨のセールスレディーは見逃すわけもなく、ひたすらこの金メダルの良さを私に猛アピールしてきた…。
…てか何故英会話の魅力をアピールしてこないのだ…そしたらスッと引くのに…
 そしてセールスレディーの思惑通り私は渋る母に命を懸けた泣き落としにかかった。

「英語がやりたいの!
(金メダルが欲しいの!)
絶対毎週ちゃんと通うから!
(金メダルもらった先は分からない。)
ペラペラになって将来、英語の先生になりたいと思ってます!
(本当は声優になりたいと思ってます!)」

 欲(金メダル)のためなら夢も軽く差し出す小4の私。
そして散々ごねた結果、何があってもとにかく1年間は通い続けることを誓い、なんとか入会することが出来た。
 ところが、金メダルは入会特典だった為、私の目的は直ぐに達成されてしまい、後に残ったのは特に興味もない英会話教室へ1年間通い続けると言うレベル局中法度の母との誓いだけ…。破れば血を見るのは明らか…だが、もう何をモチベーションに通えばいいのか分からない…。

いや、英語頑張んなさいよ。

 とにかくもう初日から燃え尽き症候群に陥った私だったが、問題は他にもあった。
 それは教室が少し遠いと言うのと、途中入会だった為もう既に友達グループは出来上がっていて、超内弁慶な性格と人見知りが相まって中々馴染めず、行っても話す友達がいない…。よく分からない言語が飛び交う中、終わる時間だけをひたすら待つ週一、HELL…。
これを1年なんて悟りを開いてしまいそうだ…なんとか、友達を作らなくては…!!

いや、だから英語頑張んなさいよ。

いや無理です。何故ならもう金メダル(モチベーション)は貰ってしまったから…!!

 しかし局中法度は破れない。そこで当時の私は考えた。この状況を打破する方法を。

当時私達小学生の中で一輪車がめっちゃめちゃ流行っていた。皆、雑技団を目指すのかな?くらいの勢いで空いてる時間はとにかく即一輪車だった。マイ一輪車で近所を暴走するのがトレンドだった私も「疾風の由美子」などとよく言われたものだ。(写真参照)
そうだ…私には一輪車がある…!
いつもは自転車で行っている英会話教室にもし一輪車で行ったらどうなる?
きっと、こうなる…!!

「えぇ!?だ、誰?一輪車で来てる人がいるよぅ!!」
「あ!ここに名前が小林由美子…。え!?由美ちゃんの!?」
そこで私何食わぬ顔で登場。
「あ、えっと、皆どうかした…?」
とはにかむ私に皆は言うのだ。
「由美ちゃん!!凄い!一輪車乗れるの!?」
「え?あ、いやぁ、大したことないよ…」
と再びはにかむ私。
「凄い!」
「凄いよ!由美ちゃん!」
「みんなぁ!由美ちゃんが一輪車乗ってきたよーー!」
「「「えぇーー!?凄いーー!!」」」

そして始まる私カーニバル。

完璧だ…。私は突然漲る自信と共に直ぐに実行に移した。それは蒸し暑い梅雨空の季節。約2キロ近くの道のりを汗だくになりながら一輪車でかっ飛ばした。いつもは憂鬱な教室までの道のりがその日は羽が生えたように軽い。だってカーニバルが待っているのだから。

疾風の由美子とは言え、やはりいつもの自転車よりは時間はかかったが、早めに出たこともあって一番乗り。名前がよく見えるように一輪車を置き、いざ!
今日ならあの陽気な外国人先生のカタコトすぎてよく分からない日本語も流暢過ぎて何も分からない英語も理解出来るかもしれない。皆早く来い!そして来たれ!!私カーニバル!!

ところが……
1人来て、2人来て…3人来ても、誰も一輪車のいの字も触れない。そんなはずは…もうカーニバルダンサーは今か今かとスタンばっていると言うのに…何故だ…置く場所間違えたのかな…そんなはずないよ、いつもの所に置いたもの…。そう、いつもの駐輪場に…

…いつもの、駐輪場に……!?!?

私は気付いた。ここはマンションの一室を借りた英会話教室。マンション共有の駐輪場に一輪車が紛れて置いてあっても住人の子のかな?位にしか思わないだろう。それをわざわざ小さく書かれた名前を確かめに行ったりするほど皆時間に余裕を持って来たりしないし、興味もない。それにだ、ここまで一輪車で来るなんて誰が予想するだろう。トリッキー過ぎたのだ。それならば教室のドアノブにに引っ掛けとくか靴箱に靴と間違えた体で入れて置く、若しくは私の代わりに一輪車を席につかせておく位の上乗せトリッキーをしなければ私カーニバルは始まらなかったのだ…
スッと帰り出すカーニバルダンサー達……
………浅はかなり……。

 結局その日誰も一輪車に触れる事なく、先生の英語も日本語も理解出来ないまま、すっかり陽の沈んだ帰り道を人知れず一輪車に乗って黙々と帰った。この若干10歳にして体験した壮大にすべるという体験はこの後私をちょいちょいダークサイドに誘った。
その英会話教室はそれから1年、母に尻を叩かれながら通ったが特にこの後英語にも生徒にも先生にも馴染める事もなく金をドブに捨てさせた結果となった…。

娘の一輪車を見るとふとそんな事を思い出してしまう。