この画像↑は今朝の朝ラン時の時撮ったもので、この家は五条通を挟んで、うちのマンションの向かい側にある民家である。
例年だと、もっとバラの花がたくさん咲いてた記憶があるので、ひょっとして、これから、咲くのかもな~・・・。
朝ランが愉しみである・・・d(^O^)b
さて、昨日は、久々の京都市立病院の定期検査だった・・・。
その前に、シミズ大明神にお参りして、痛風大魔王の封じ札をお授かりに行った・・・。
調度二か月前に採血した、検査結果をいただく目的もあったので、せんせに呼ばれて診察室に入ると・・・検査結果を手にせんせは・・・。
「ほぼ異常がないけど、問題になる程ではないが、貧血気味の数値やけど、何か心当たりある?」って~聞かれたので・・・。
「せんせ、以前にもゆ~たよ~に、わし胃全摘して、術後の補完治療として、抗がん剤服用してまんねん。その副作用やと思います」って~応えた。
「あ~そ~やったな~・・・すまんすまん。市立病院で胃を全摘出したんやったな~・・・」と、謝られた・・・。
たくさんの患者を診てはるので、一人一人の状況など把握できね~とは思ふけど、ま~仕方ないね・・・。
で、ちゃり飛ばしてマンションに戻って、みゆきと連れ立って、市立病院に向かった・・・。
久々の「陽気な癌サバイバー、五条通を行く」シチュエーションである・・・d(^O^)b
まずは、受付を済ませ、採血し、今回は先に院内のレストランで、食事を摂ることにした・・・。
どうせ、検査結果が出るまで、診察室に呼ばれることもないので、少しは賢くなった証やね・・・^^;
で、みゆきは、大好きな唐揚げ定食で、わしはミックスフライ定食をオーダーした。
↓これが、そのにっくき、Bランチ・・・であるd(^O^)b
以前にも書いたように、このBランチのエビフライを一本食べたところで、食道詰まりを起こし、その時点で食べるのを断念したのであった・・・(-_-;)
よって、わしにとって、わざわざ、奈良県の大和八木まで、そうそう行けるわけでもないので、Bランチのリベンジを、このミックスフライ定食で晴らすつもりでオーダーしたのであった・・・d(^O^)b
そして、見事完食し、あの時の恨みを晴らしたのであった・・・^^;
次は「七条のふくろうの味噌ラーメンのリベンジやな~」と、爪楊枝でシーシーやりながらら、リベンジを誓ったのであった・・・。
って~ことで、そのアト、診察に向かったのであったが、今回の診察では、みゆきが主治医に重大な質問をした・・・。
時間がなくなったので、その件は、また次回書きたいと思ふ・・・。
替わりに、「去年の今日記事」を、貼っておくので、よろしければ、読んでやって下せ~・・・では!
さて、先ほど朝活三点セットで、坐禅したのだが、このブログでは「座禅」ではなく「坐禅」と表記しているって~ことに気づいた人は何人かいると思ふ・・・。
改めて書くと、坐禅を始めた20年前、「坐禅」と「座禅」に違いについて調べた・・・。
その時は「座」は屋根の下に坐ってる姿を表現しており、「坐」は屋根のない所に坐っている姿を現している・・・と書かれてるのを読んだ記憶がある・・・。
本当は「座」は座る場所を表現しており、「坐」は坐る行為を示す字であるから、「坐禅」が正しい、って~コトらしい・・・d(^O^)b
なんで、今更こんなことを書くのか、って~と実は、先日書いた「自分に自分が嘘をつくハナシ」の流れなんだよな~・・・。
二人の自分、って~意味でね・・・d(^O^)b
FBにある人が書いてたのだが、「坐」という文字は、「土」の上に2人の人が坐っている形をしている・・・って~ことから・・・
その二人の人とは、二人とも自分の事で、「坐ってる自分」と「それを観察している自分」なのだそうだ・・・。
これは、実に解り易い説明であり、納得度の高いハナシだと思った。
一人の自分は「自意識的自我」であるとして、もう一人の観察して自分は「瞑想的自我」だと思ったのである。
例えば、坐禅中「無心」モードになって「頭が空っぽになってる状態」では、自意識的自我は後退しているが、その「無心」の状態を観察している自我は、確実に存在する・・・。
それを「瞑想的自我」って~呼んでるのだが、僕は以前この「瞑想的自我」を「発菩提心(ほつぼだいしん)」とも解釈した・・・。
この「瞑想的自我」は先日書いた「良心」とも少し違っていて、瞑想的自我には「良い悪い」の判断はない・・・。
ただ、自分(自意識自我)をひたすら観察しているだけである・・・。
無心の状態で、この「瞑想的自我」も消えてしまう境涯が。実は理想的なのであろうが、とてもとても・・・^^;
凡夫の坐禅は、この瞑想的自我と自意識的自我の、心理的葛藤が延々と続く、果てしない旅のような気がするね・・・^^;
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