「ほぼほぼ改善」に変更・・・(-_-;) | しゅ~る之助の新々観察ラン日記

しゅ~る之助の新々観察ラン日記

「下京のジョージ・クルーニー」を自称する、坐禅と観察ランで、                                        京都の街をしぶとく生き抜くおじさんの日記です。

 

 

 

↑こんな画像、いきなり見せつけられて驚いたことと思うd(^O^)bすまんすまん・・・のであるm(__)m

 

って~のは、実は今朝は朝ランを休足したからで、載せる画像がなかったので、過去の観察ランの時の観察ブツの画像を載せたのである・・・。

 

このブツは、近所の駐車場の金網に設置されていたのだが、何度も前を通ったはずなのに、この日初めてその存在に気づいたのであった・・・。

 

って~ことは、まだまだ見逃している観察ブツが、近所にもたくさんありそうやな~・・・。

 

この機械部品で作られた風見鶏・・・なかなか造形的にも優れており、こんなものが、戸外の金網に放置されているのである・・・。

 

特に胴体部分のネジや歯車の部分は実に味わいがあって「時計仕掛けの風見鶏」って~タイトルでもつけたくなるな~・・・d(^O^)b

 

さて、では何故今朝の朝ランが休足になったのか、であるが、実は昨日S社でバイトに精を出している間ず~っと、左足の親指が痛かったからである・・・。

 

歩いてないときは、全く痛まないのだが、歩くとちょっとだけ痛みを感じるレベルなのだが・・・・。

 

とりあえず、「治った治った♪」と油断して、朝ランを普通に復活させたのが原因だと思うので、この痛みが完全になくなるまで、休足にしたのである。

 

全くこれまでも何度も繰り返してきたパターンで、ちょっと具合がよくなると「治った治った♪完全ふっか~つ!」と油断して走り始め、悪化させるケース・・・(-_-;)

 

確か去年からは、それまでの失敗を踏まえて、今後は「ほぼほぼ改善」モードで、慎重になろ~、と反省したのだったが・・・。

 

って~ことで、完全に痛風大魔王発作が治ってないまま、走り出して、痛みが再発したことは間違いね~のだから、痛みと腫れが引くまでは、「炉基礎忍護符」を復活させ、休足を続けよ~かと思う・・・(ToT)

 

さて、過去の観察ブツを載せたので、ついでにこんな観察ブツも載せておこう・・・。

 

 

これは、先日載せた、五条通の市民病院前のめだか屋の前の掲示板「ひまなおっさんの57577」の第二段(左側)である・・・。

 

以前は「めだか屋のおっさんの川柳」だったのが、川柳ボードは全部撤去されて「ひまなおっさんの57577(狂歌)」が登場したのだが、今回は第二段「ひまなおっさんの57577正月編」である・・・。

 

 

現在のコロナ禍の中で、「おっさん」が苦労しながら過ごしている暮らしぶりがよ~く表現されている・・・・と思ふ(^_^;)。

 

この「ひまなおっさんの57577」・・・続編が今から楽しみであるd(^O^)b

 

さて、またまた話は変わるが、書こうと思っていて、なかなか書くきっかけがなかった、DVD作品について書いておこうと思ふ・・・。

 

 

↑これ、ひょっとしてご存じかも知れね~が、京大の吉田寮問題をモデルにした、作品である。

 

正直、地味な映画だし、寮生と大学当局の古い学生寮の取り壊しの交渉を取り上げたもので、勿論学生側の立場から描かれている。

 

実際には左翼の活動家らが、もっといると思うのだが、この作品の中で、あくまでも組織されてない寮生たちが大学当局と交渉して中で、寮生同志の葛藤なども織り交ぜながら話は進んでいく・・・。

 

その中で、非常に感銘を受けたセリフがあったので、ここで紹介したいと思うのである・・・。

 

寮生の姉役の成海璃子(派遣の学生課のスタッフ)が、学生たちに「すでに大学側は、寮の跡地に政府から予算を受けやすいバイオ研究棟などを立てる計画であり、寮の再建計画はない」と、当局の計画を暴露する・・・。

 

その上で「でも、すべてが経済効率優先の世の中で、何故これほど毎年多くの人が自殺するのか、私にはわからない。人の幸せというものは、多岐に分かれていて、経済効率だけでは、なしえないのではないかと思う」

 

「その象徴がこの古い学生寮であり、だからそれを護りたいと、多くの先輩たちが、大切にしてきたのではないだろうか」

 

このセリフには、ほんと目からうろこだったな~・・・。

 

確かに経済優先は、ほぼ国民総意の社会目標だと思うのだが、それに乗れない人たちもいるし「幸せ」の価値基準そのものが実は多岐にわたる、って~ことなのだろうと思ったのである。

 

国民の多岐にわたる価値基準と経済効率を、どうバランスをとっていくのか・・・って~のは、人類の永遠の葛藤なのかも知れね~な~・・・。

 

僕の行った大学にも同名の「吉田寮」って~古い大学の学生寮があり、よく寮の友達と遊んでいたので、学生寮の雰囲気、って~ものはよ~く分かってリアリティーがあった・・・。

 

ただ、この映画の最後に、京都の学生たちや一般市民が集まって、楽器を演奏するシーンが唐突にでてくるのだが、あのシーンだけで、この作品の良さが全く粉々にされた・・・と、僕は感じたのだがど~なんだろう・・・。

 

まさに、良質の作品が一気に「プロパガンダ映画」に貶められた感じがしたな~・・・残念!(-_-;)