新たなる疑問と展開 | しゅ~る之助の新々観察ラン日記

しゅ~る之助の新々観察ラン日記

「下京のジョージ・クルーニー」を自称する、坐禅と観察ランで、                                        京都の街をしぶとく生き抜くおじさんの日記です。

 

↑は、御前八条の「円光寺」の今月の「ブツのお言葉である・・・d(^O^)b

 

めっちゃ明快な短いお言葉で、これはこれで味わい深いモノがある。

 

先日「東福寺に常楽説法」で聴いた「少欲知足」「我唯知足」・・・を、平明な言葉で言い表したものである。これ以上の解説は無用だろう・・・d(^O^)b

 

さて、昨日のことだが「おでかけ前にご挨拶」として更新した短い記事ではあったが、あの後、みゆきと連れ立ってマンションを出た・・・。

 

ところが、数メートル進んだところで、ぽつぽつ雨が降り出したので、傘を取りにマンションに引き返した・・・。スマホで雨雲レーダーを観ると、降り続きそうだったので、休日ランの予定を中止したのであった・・・。

 

せっかくだから、そのまま傘をさして徒歩で、西大路花屋町のライフに買い物に行き、その帰りに王将で早めのランチをした・・・d(^O^)b

 

 

王将は餃子が安定の美味さやから、他の料理がま~ま~でも、とりあえず満足できるので、当たり外れがね~ので無難である・・・d(^O^)b

 

で、とりあえず、ランチを済ませて、アトはマンションに戻って、午後は、散歩の途中で借りたDVDを観て過ごした・・・。

 

今回観たのは「一度死んでみた」と「前田建設ファンタジー営業部」d(^O^)b

 

どちらも、なかなか面白かったのでお薦めである・・・d(^O^)b

 

さて、今朝も朝ランを走ってきたが、今朝は公認白虎コースを7キロ半ほど走ってきた・・・。

 

今朝も、スタート直後に光徳公園に行って、鉄棒にぶら下がったのであったd(^O^)b

 

 

今朝は、5回連続成功したので、満足だったが、一昨日の土曜日に鉄棒に飛びついた時には、ちょっとショックなことがあったので、書き残しておきたいと思ふのである・・・(-_-;)

 

その日は、最初に跳びついた時は成功したのだが、ちょっと違和感を感じた・・・。

 

中途半ぱな跳び方だったので、もう一度、跳びあがって鉄棒を握ろうとしたら、ジャンプが足りずに、鉄棒を握れなかった・・・。

 

そこで意地になり、もう一回ジャンプしたら、今度は鉄棒をがっしり掴むことができた・・・。

 

さらに念のために、もう一度ジャンプしよ~とした時、そのショックなことが起こった・・・。

 

足を大きく屈伸して、飛び上がろうとしたのだが、足が地面から離れなかったのである・・・。要は、体が跳びあがることを強烈に拒否した・・・って~印象だった・・・(-_-;)

 

その時である、僕の口から不意に「もっと自分をさらけ出せ!」「もっと自分をさらけ出せ!「もっと自分をさらけ出せ!」って~強烈な力のこもった言葉が三回発せられたのである。

 

声の大きさは周囲の人をおもんばかって、さほど大きな声ではなかったが、その言葉には非常に力がこもっていた・・・。

 

つまり、ほとばしった感情が言葉になった・・・そんな感じだった・・・。

 

正直、その言葉に自分自身が驚いた・・・。だが、その意味はぼんやりと分かった・・・。

 

心の中で、なにかが邪魔して、自分の言いたいことややりたいことが十分に発揮できない・・・って~あの感じだ・・・。「心の天井」とか「心のリミッター」とか、あるいは「自動プログラム」って~奴かな・・・。

 

僕の心の中の何かが、跳ぶことを拒否している・・・それをはっきり自覚した・・・。

 

その時は、そのアト立て続けに跳びつきに成功したので、光徳公園をあとにしたのだが、あの足が地面から離れなかったあの感覚を、何度も反芻し、その原因を探った・・・。

 

大和高田の女性(以後はHさんと表記する)のブログに、最近こんなことが書いてあった・・・。

 

自分の中の深層心理や無意識の自分を知る方法には、精神分析や催眠療法などいろんな方法があるが、最も簡単な方法は、自分の感情や感覚を細かく観察することである・・・みて~なことが書かれていた。

 

つまり、無意識の自分は、感覚や感情に如実に表現されるので、「自分の無意識」とはその「感情や感覚」そのものである・・・って~ことなのである。

 

って~ことは、あの時の「もっと自分を出せ!」って~自分への怒りの混じったあの赤裸々な感情は、「僕の無意識の中の心の叫びである」、と言えなくもない・・・。

 

今回の「高鉄棒跳びつき」案件で、いろいろ検討したことが、も~一度振り出しに戻った、って~ことである・・・。

 

「理知的な自我が、鉄棒へのくだらないこだわりを拒否している」って~そんな安直で体裁のよい理由で納得しよ~としたが、そんな単純なものではない・・・って~ことを感じた・・・。

 

では「もっと自分をさらけ出せ!」って~あの言葉の意味することを、も~一度再検討し直す必要性を僕は感じたのである・・・。

 

では一体、それは何なのか、僕の無意識の中で、抵抗している「コンプレックス(こだわりの集合体)」とは一体何なのか・・・。

 

僕はこの数日そのことをず~っと考えてきたのであった・・・。