学校の先生は塾が嫌い?? | 名古屋 小学校 お受験ナビ

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こんにちは。

新しい年度が始まりましたね。
 

この冬にそれぞれの受験を経験された方は、新しい環境で年度初めを迎えられているのでしょう。

 

そんな受験生の姿を描いたドラマ「二月の勝者」を、皆さんは見られたでしょうか。

主役の柳楽優弥さんについては、『誰も知らない』という映画で初めて拝見し、役によって全くの別人に見えてしまうほどの演技力をもった役者さんだなといつも思っておりました。
 

今回も厳しさの底に隠れた優しさ、誠実さなどを見事に演じられたと感じました。
 

原作が漫画なので、原作好きな方の中には賛否両論があるかとは思いますが、個人的には配役も含め、良いドラマだったなと思いました。

 

この「二月の勝者」の中でも描かれていたのが、「塾を毛嫌いする学校の先生」です。
 

ドラマでは、学校で勉強ができることを同級生から「塾にいってるから」と妬まれたり、学校の先生にまで疎まれるという回想シーンで描かれていました。

ドラマではない実際の学校現場でも、同級生はまだ「子ども」ということで、妬みの気持ちが上手く処理できず、このようなことが起きてしまうことはあるでしょう。

では学校の先生はどうでしょうか。

学校の先生の中にも、全てではありませんが、塾を毛嫌いしている先生はいます。

 

「塾」そのものを毛嫌いするぐらいであればまだよいのですが、塾に通っているお子さんに対しても、良い印象を持たない先生は一定数います。

中には学校で教えていない方法で、そのお子さんが思いついた解き方などを「塾で教わった方法は認めない」という「謎」の方針で、「学校で教えて方法以外は塾で習ったものだ!」と決めつけて、合っていてもテストで減点してしまう先生もいるようです。

 

なぜこのような先生が存在するのでしょうか。このような先生の心持はどのようなものなのでしょうか。

 

私は、「手段と目的の逆転の心理」と「自己の未熟さに伴う防衛本能」が働いているのだと考えます。



学校教育の目的は、「子どもたちの育成」です。これ以外あり得ません。

「教育基本法」でも1条の「教育の目的」として、
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
定められています。

学校の「標準カリキュラム」は本当に「標準」か?!
でも述べましたように、本来ならば各自に合った内容を各自に合ったペースで育成されることが必要になります。
 

しかし制度上、このような対応が困難な現実はあるかと思います。

このような制度上の課題を補完するためにも、一定割合で学校以外の教育が必要になる場面があります。
 

学校以外の教育の場は様々あり、お子さん自身の自習から、親御さんが見られる補修・先取り学習、様々な習い事などなど、お子さんの成長や趣向、目標によって違ってくるものだと思います。
 

この中の一つに「塾」が存在するのではないでしょうか。

学校教育の目的が「子どもたちの育成」であるならば、この目的に合致しているものは、学校教育として否定すべきではなく、肯定したり、連携したりすべきものです。
 

これを否定することは、目的をないがしろにしていることになります。

しかし学校の教員の中には、「子どもたちの育成」に目的を置かず、
・自身の教員としての業務を円滑(楽に)進めること
・自身の教員としての評価
などを目的にされている方がいらっしゃいます。

これらに繋がる「授業を静かに維持し、カリキュラム日程通り進める」などが次の目的になり、これに対する懸念事項は否定すべき存在に変化していきます。

この変化の過程は、例えば、
●自分の授業が静かに、円滑に進まないのはなぜか。
⇒自分の授業に飽きているからだ。なぜ飽きるのか。
⇒自分が教える前に知っているからだ。なぜ自分が教える前に知っているのか。
⇒塾で先に教えているからだ。塾に通うのは、授業を円滑に進めるための弊害になる。
といったようなものかと考えます。

自身の授業が円滑に進まない真因は、
・教員自身の実力不足(だから真因を見極められないのですが・・・・)
・お子さんのモラル不足
です。

これらの真因への対策は当然ながら、
・教員自身が実力を付ける
・他にも聞きたい人がいるので授業中は静かにするといった基本的なモラルを指導する
といったことになりますが、目的を取り違えていることと、これらには自身の愚直な努力が必要になることから、なかなか目が向かないのです。

さらに「自己の未熟さに伴う防衛本能」が加わると、上記のような歪んだ思考の変化が加速しますし、目的を自身の評価などに置くと、この本能もさらに加速していき、負のスパイラルはますます進んでいきます。


以上から、このような教員は、自身の目的のために、お子さんの人格を目的にできず、お子さんの人格を手段にしてしまっているのです。


もちろん教育の目的をしっかり把握し、この目的を第一にされている学校の先生もいらっしゃいます。

 

小学校を選択する際にも、機会がありましたら、在校生の親御さんに、
「学校では、塾に通うって、どう思っているの?」
といった質問をしてみましょう。

「あんまりよく思われないよ」
といった回答が多数の親御さんであった場合は、教育の目的が歪められ、お子さんの人格が手段化されてしまっている恐れがあります。

こういった観点でも取り入れながら、後で後悔しない学校選びをして頂きたいと思います。