みんなに知っていただきたい人 | 中川修一のMAEMUブログ

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■2020年10月4日逝去

その人は昨年心筋梗塞のため45歳の若さで亡くなりました。

 

どんな人だったか。一言でいえば「ランナーを一番応援した人」です

 

彼の名は、久家正嗣(くげまさつぐ)

わたしの友人であり同僚です。

 

湘南国際マラソン、横浜マラソン、数々のウルトラマラソン、東京2020の横浜都市ボランティアの運営体制をつくり担った男です。

 

私たち事務局は裏方です。

我々の名前が表に出ることはほとんどありません。

大会プロデューサーは皆さんもご存じかもしれませんが。

 

久家正嗣という男がこの世にいたこと、何をした男だったかということは、我々会社の仲間や関わった人間だけが知っていることです。

 

彼がいたということ、どんな人物だったのか。

それを知っていただきたいと思うのです。

 

勝手ながら。

自分にできることだけでも。

 

という思いで、ここに書き記したいと思います。

 

■とりあえず湘南!を合言葉に

彼との初めての出会いは、2006年。

2007年の湘南国際マラソンを立ち上げようとしている最中でした。

大会の準備段階で彼は入社してきました。


湘南国際マラソンの立ち上げは、体力的にも精神的にもタフなものでした。

当時の上席には

「久家は大会まで寝るな」「中川は大会まで休むな」と役割分担される様な状況

久家は休んでいいができるだけ寝ずに頑張れ!

中川は寝てもいいから、できるだけ休まないで頑張れ!

という過酷な状況。(両方じゃなかったのが救い。)

 

当時の私たちにとって、1万人以上の規模の大会運営は初めての体験。

万人規模のランナーが集まってくる会場やコースの運営は、3000人くらいまでの経験しかない私たちの想像をはるかに超えるものでした。

大会当日まで準備することが終わらず不安な日々を過ごし、事務局メンバー全員でお互いに励まし合う毎日でした。

 

私は運営ディレクター。

久家はボランティア運営ディレクター。

 

レストランでいえば、メニューや食材、出す順番や食器の準備片付けの段取りなどを組むのが私たち運営ディレクターの役割。

実際にフロアスタッフに説明し、お客さんを迎え入れフロアを運営するのが久家の統括するボランティア運営ディレクターの役割です。

 

終わる見込みのない作業の日々。

「とりあえず湘南当日まで頑張ろう」という意味で

「とりあえず湘南」を合言葉に毎日励まし合いました。

 

■みんなの兄さん

彼は、走るのが大好きで、車が好きで、山が好きで、お酒も好き。

相田みつをさんの言葉が大好きで。

私にとっては3つ年上の兄さん的存在。

社員は彼より若いメンバーがほとんどでしたが、彼は持ち前の謙虚さと親しみやすさで、みんなの兄のような存在になっていました。

誰にとっても良き相談相手です。

 

休みの日には、若手社員を誘ってマラソン大会や登山に出かけ親交を深めていました。

パラスポーツのボッチャにも早期の段階でその魅力を見出し、率先して大会やボランティアにも参加していました。

 

優しさのあふれる人。

 

温厚なひと。

 

人の悪口をいわない人。

 

年下からだけではなく

年上からも慕われる

みんなに愛される人。

 

彼の性格を表すエピソードとしては

 

剣道家で真面目な彼は、社歴の長い年下の私にはいつも敬語でした。

彼がフラットに話をするのは一緒に走ったり、お酒を飲んでいる時くらい。

というエピソードが彼の性格を表していると思います。

 

 

■数々の大会運営経験から横浜マラソン立ち上げへ

湘南国際マラソンでの実績を活かし、ウルトラマラソンをいくつも新規で立ち上げ、数々の大会運営を一緒にしてきました。

その経験で、2015年の横浜マラソンの立ち上げにも携わることができました。

 

横浜マラソンの運営マニュアルは、湘南国際マラソンと数々の大会運営での汗の結晶です。

 

大会運営マニュアルというものは、回を追うごとに失敗と成功の経験により内容が充実していきます。

コンセプトに基づいてマニュアルに体温を注ぎ込んでいきます。

 

大会の運営には運営コンセプトというものがあり、私たち運営ディレクターは東京ディズニーリゾートの運営コンセプトを参考にして運営をしていました。

 

SCSE 「安全、親切、演出、効率」

 

運営の優先順位はいつも、安心と安全が第一。

次に親切な運営であること、そして演出。マラソン大会では達成感や感動を大切にしています。

そして効率。ランナーにとってもスタッフにとっても。

 

運営をしていくと、この優先順位が崩れそうになることがあります。

効率を求めるがゆえに、親切さや演出面が欠けてしまったり。。

そんなことがあります。

 

運営会議で、論点が効率に寄りがちな場合は、このコンセプトをもとにすることが重要です。

安全は第一として、私は演出面。久家はいつも親切かどうかというところを見ていました。

また、論点が枝葉に分かれていくと、いつも元の位置に戻してくれるのも彼でした。

 

 

■湘南撫子走友会から東京2020オリンピックの運営へ

私たちの会社は、湘南撫子走友会という走友会が基になり発足しました。

私が入社した2000年は会社創立7年目でした。

 

湘南撫子走友会は代表の坂本が電力会社時代に陸上部のメンバーと立ち上げた走友会です。

湘南撫子走友会は陸上の練習だけではなく、自分たちで東海道や中山道など五街道をつなぐ駅伝を実施するなどの幅広い活動をしていました。

 

道路使用許可調整やコースや会場運営の下地をつくってくださったのは湘南撫子走友会の方々です。

 

そのうちに、市民マラソンをターゲットにしたマラソン大会を開催するようになります。

それがチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン。

今では日本一の参加人数規模のウルトラマラソンであるチャレンジ富士五湖ですが、1回目の参加者数は走友会メンバーを含む13名。

それがランナーズ・ウェルネスの始まりです。

 

2020年に東京でオリンピックを開催することが決まり、私たちも何かで運営に関わることができたらという思いがありました。

 

私は、この湘南撫子走友会のはじめた「駅伝」から会社が生まれたということにロマンを感じたので、聖火リレーに携わりたいと思っていました。

 

久家は、これまでの経験を活かしボランティア運営に携わりたい。という話をしていました。

 

嬉しいことに私たちの思いは通じ、神奈川県、千葉県、茨城県の聖火リレー運営と横浜市の都市ボランティア運営に携わらせていただくことになり数年前から準備を進めていくことになり2020年を迎えたという流れです。さらに地元湘南で開催される競技の会場運営にも携わることができました。

 

横浜の都市ボランティアが決まった時は二人で喜びました。

 

自分が担当する聖火リレーよりも嬉しかった。

というのも、ボランティア運営スキルを評価されたということは運営の中身を評価されたということだから。

これまでみんなで培ってきた運営ノウハウが評価されたということ。

みんなの汗の結晶。

これは本当に嬉しかったです。

 

涙を流して喜びました。

 

「やったね。僕らついにやったね。」と。

 

 

■忘れない

コロナ禍でオリンピックは1年延期で開催。

 

残念ながら当日に久家正嗣の姿はありませんでした。

 

聖火リレーも、横浜での競技も形は変わりましたが無事に終わりました。

 

2006年に出会ってからの15年。

オリンピック関連では3年。

 

止まらず走り続けてきました。

 

久家さんは今も走っているのかな。

 

1年経った今だから書き残せることをここに残しました。

 

 

 

久家さん

 

おつかれさま

 

おわったよ

 

「とりあえずオリンピック!」

 

 

久家さんとしてきたことは忘れない。

関わった人たちの中で残っていきます。

 

これを読んでいただいた方々の中にも

きっと生き続けますように。

 

 

こんな男がいたのです。

 

改めまして一周忌にあたり

故久家正嗣氏のご遺徳を偲び

衷心より哀悼の意を表します。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。