コロナ禍での走るモチベーションは「目的」の違い | 中川修一のMAEMUブログ

中川修一のMAEMUブログ

MAEMUは前向きになれるコト

ココロもカラダも前向きに生きていきたい!

ネガティブになっても最後はポジティブに!

どんなに凹んだって最後は前を向けるようになりたいと思いと思って始めたMAEMUの種さがし

MAEMUの種を徒然なるままに投稿しています

コロナ禍でマラソン大会が軒並み中止となった。

これにより、走るモチベーションが沸かなくなった。というランナーの声をよく耳にする。

 

とても気持ちがわかる。

外出自粛も重なりモチベーションが下がってしまったランナーが多いはず。

 

僕はコロナ禍の方が走っているけれど、20年前に同じ経験があったので、共感できる。

 

22歳。21年前。マラソン大会に参加することが楽しくてマラソン大会を運営する会社に入社した。

ところが入社後すぐにマラソン大会に参加することがなくなった。

その理由は、マラソン大会が開催される土日は、マラソン大会の運営のために出張することになったから。

 

少し考えればわかるようなことだけれど、19歳で走り始めたウルトラマラソンに夢中になっていた22歳の僕には気づくことができなかった。

 

大会にエントリーしても、大会運営の仕事やランニングイベントの仕事が入り出走できないことが頻発した。

キャンセルしても参加料金は戻ってこないし。エントリーしても走れないかもしれないし、、、というジレンマで、マラソン大会にエントリーするというモチベーションは入社1年目で無くなった。

 

ところが、走るモチベーションは下がらなかった。

大会にエントリーしてないなら走らない。という状態にはならなかった。

 

それが、ランニングが「自分にとっての何なのか?」について考えるきっかけとなった。

ランニングが好きなのか?マラソン大会が好きなのか?

 

僕は、もともと走るのが好きで子供のころから自主練としてランニングをしていた。

その中で19歳の時に初めて市民マラソンに参加して「マラソン大会」にハマった。

 

僕にとってのランニングは「生活の中で余暇をスポーツや趣味で楽しみたい」という目的のための「手段」だった。

そしてマラソン大会はランニングを楽しむための手段で、大会に出るなら「完走したい」「〇時間くらいで走りたい」という目標を設定していた。

 

つまり目的は「生活の中で余暇をスポーツや趣味で楽しみたい」ということで、目標が「マラソン大会」。だからマラソン大会という目標が無くなってもランニングを継続することができた。

 

目的とするか目標とするかの違いだった。

 

継続することができたポイントは、「目的を理解する。」ということと「目的を見失わない。」ということだった。

 

「目的」と「目標」

 

目的は、「何となく●●でありたいな、●●したいな」という遠くに見えているようなこと、目安や方向的なこと。

目標は、目的達成のために「●●する」という具体的な手段のこと。

 

「マラソン大会を完走できるようになりたい」ということが目的でランニングをはじめ、「完走すること」「●●時間で走ること」を目標にすれば、マラソン大会がなくなった時点で目的と目標を失ってしまう。

 

コロナ禍で「大会がないと走るモチベーションが沸かない」となってしまったランナーの多くは「マラソン大会を走りたい」ということが目的となっている方が多いのではないだろうか。

 

もし、走るモチベーションを上げたいのであれば、走ることについて、自分にとって「大好きなランニング」の「目的」と「目標」を見直してみるといいと思う。

「身体を動かしたい」「健康な身体でありたい」「気分転換したい」というような「普遍的なもの」を目的として書き換えてみると、その手段としてのランニングがあり、それをさらに楽しむための手段としてマラソン大会やイベントを目標の位置に設定することができる。

もし、「走るモチベーションを上げたい」と思うなら。そんな提案が今の僕にできること。

自分は「走りたい」のか、「マラソン大会を走りたい」のか。

 

もちろん「マラソン大会を走ること」が「目的」でランニングをするのもいいと思う。「マラソン大会がなくては走らない」というくらい大会を愛してくださるのは、マラソン大会運営者としては、この上ない喜びだから。

 

「目的」としてランニングを継続できるモチベーションを手に入れることができれば、怪我で大会に出られないとき、途中リタイヤするときなども、走ることについて前向きに考えることができるし、末永くランニングを継続する一助になる。

 

スポーツ選手が引退するとそのスポーツをやめてしまう。というのも、目的と目標の違いによるものが大きいと思う。それは「試合に勝つこと」を「目的」としてしまっている部活やスポーツを教育材料とする方針についての話にもなるので、今回はここまで。

 

コロナ禍で走るモチベーションが下がってしまったランナーは、ランニングについて考えるチャンス。再び前向きに走り出せる日が来ることを応援しています。