大好きな人の大好きな人が晴れ舞台に立った。
その言葉のひとつひとつは
大好きな人が大好きだから...ではなく
ちゃんと胸に届くものばかりだった。
10年を越えて
当たり前にソコにあると疑わなかった、
当たり前にソコにあると思ってきた気持ち。
それを感じ入る事ができた晴れ舞台だったなって。
迎合する事なく だからと言って 剥き出しにする事でもなく
相容れる手立てを模索しようとする姿勢に激しく共感出来た事。
ボクが大好きな人も きっとそうだよね、と。
LINEのお祝い...とてもびっくりしていたけど
なんだか嬉しそうにしてた彼を見て、そんな風に思ったんだ。
時は流れて...
想い出も「とある記憶」になってしまう事もある。
でも
ボクが大好きな人にとっては、ちゃんと大切な「想い出」のままなんだろうなって
嬉しくなったボクw
そんな彼とこうして過ごして来れた自分が
どんなに幸せなのかを改めて実感させられ
そんな彼を誇りに思い
そんな自分を誇りに思えた事。
大袈裟なようだけど
純粋にそう思えるのって やっぱ10年の重みなんだろうなぁと、今更ながらw
10年の歴史のなかで
心踊る事も 夢見心地になれた事も 嬉し泣きした事も 感心感動した事も...
傷ついた事も 落胆した事も 冷静で居れなかった事も 心痛めた事も...
どれも やっぱり
二人にとっては大切な「想い出」だよね。
こんな事言っても表向きだよねって揶揄されるかもだけど
たとえ「カタチ」は変わっても
大切に「想う気持ち」は何年経っても変わらないと
それがボクラの「公約」なんだと思う。
どんなときも
どんなふうにいても「ボクラはボクラ」。
そのコアは変わらないし変えられないんだろうね、きっと。
その言葉のひとつひとつは
大好きな人が大好きだから...ではなく
ちゃんと胸に届くものばかりだった。
10年を越えて
当たり前にソコにあると疑わなかった、
当たり前にソコにあると思ってきた気持ち。
それを感じ入る事ができた晴れ舞台だったなって。
迎合する事なく だからと言って 剥き出しにする事でもなく
相容れる手立てを模索しようとする姿勢に激しく共感出来た事。
ボクが大好きな人も きっとそうだよね、と。
LINEのお祝い...とてもびっくりしていたけど
なんだか嬉しそうにしてた彼を見て、そんな風に思ったんだ。
時は流れて...
想い出も「とある記憶」になってしまう事もある。
でも
ボクが大好きな人にとっては、ちゃんと大切な「想い出」のままなんだろうなって
嬉しくなったボクw
そんな彼とこうして過ごして来れた自分が
どんなに幸せなのかを改めて実感させられ
そんな彼を誇りに思い
そんな自分を誇りに思えた事。
大袈裟なようだけど
純粋にそう思えるのって やっぱ10年の重みなんだろうなぁと、今更ながらw
10年の歴史のなかで
心踊る事も 夢見心地になれた事も 嬉し泣きした事も 感心感動した事も...
傷ついた事も 落胆した事も 冷静で居れなかった事も 心痛めた事も...
どれも やっぱり
二人にとっては大切な「想い出」だよね。
こんな事言っても表向きだよねって揶揄されるかもだけど
たとえ「カタチ」は変わっても
大切に「想う気持ち」は何年経っても変わらないと
それがボクラの「公約」なんだと思う。
どんなときも
どんなふうにいても「ボクラはボクラ」。
そのコアは変わらないし変えられないんだろうね、きっと。