先日の知的書評合戦【ビブリオバトル】 in 天神イムズで僕が紹介した本は安野光雅さんの「天動説の絵本」(1979年 出版:福音館書店)でした。



今では地球が回る地動説が当たり前となっていますが、昔は地球は動かずに天の方が回る天動説が信じられていました。この本はそんな時代の人々が何を考え、どんな暮らしをしていたか、安野さんの美しい絵によって丁寧に紡がれた本です。絵の中には驚くべき仕掛けや遊びが隠されていて、そういった部分も楽しい本です。

天動説というのを簡単に説明すると、地球には大きなお茶碗のようなものがいくつも重なり合ってかぶさっていて、それが天体であり、それが回っているという考え方です。

誰もが天動説を信じて疑わなかった時代、1543年にポーランドの学者コペルニクスが「天体の回転について」を著し地動説を提唱。しかし、本が出来上がる頃に病死。修道僧のブルーノは地動説を熱烈に支持するも、異端とみなされ1600年に公開で火あぶりにされ処刑されます。ガリレオはコぺル二クスの説の正しさを確信、1632年に「天文対話」を著すも、宗教裁判にかけられます。ガリレオは68歳にして裁判官の前にひざまづき、自分の考えが間違っていると言わなければなりませんでした。

何の因果か、ガリレオが亡くなった翌年1643年にニュートンが誕生。これはただの偶然でしょうか?ニュートンは1687年「万有引力の法則」を明らかにし、地動説が不動のものとなります。

コペルニクス、ブルーノ、ガリレオ、ニュートン。彼らは一体どれほど勇敢な精神を持っていたのでしょう。いくら周りから非難されても、正しいことを正しいと言える強さ。その強さがあったからこそ、今の科学があり、僕らは地球が回っていることを子どもの頃から知れているのです。

安野さんはあとがきで"地球は丸くて動くなどと、なんの感動もなしに軽がるしく言ってもらっては困る"と仰っていますが、本当にその通りだと思いました。何事もそうですが、今の当たり前を当たり前にしてくれた先人たちの苦労、努力に対しての無感動はいけないと思います。もっと重く受け止めるべきなんじゃないかと思います。

また、同じくあとがきで"天動説を信じていてた昔の人びとがまちがっていたことを理由に、古い時代を馬鹿にするような考え方が少しでもあってはいけません。今日の私たちが、私たちにとっての真理を手に入れるために、天動説の時代はどうしても必要だったのです"とも言われています。僕らは地動説が正しいと知っているから天動説が間違ってると言えますが、その時代に生きていたら、きっと天動説を信じていたでしょう。 決して馬鹿にすることは出来ませんね。

僕は天動説の時代の人たちの考えを理解すること、当たり前を疑うこと、そして非難されても正しいと思うなら異を唱える勇気を持つことの大切さをこの本から学びました。