久しぶりにブログ開いてみた。


っていうのも、ちょっと書きたい事あって。



Xの文字制限じゃ書けないし、内容的に重いのでこっちに書きまする。



内容的にアカンと思った人はブラウザバックね



あと、専門的な医療の知識がある訳じゃないので話半分で。



でもいろいろ調べた。



今日書きたかったのは高校時代のYちゃんの事


カルト宗教で鬱を発症してしまう人は割と多かった印象で、

私もそうだった。



Yちゃんは鬱をカミングアウトしてくれた後も、私に笑顔を絶やさなかった。



その訳が何となく今になって伝わった気がして、私の思いを書きます。



カルト宗教による鬱はちょっと特殊かもしれないんだけど、

自分の経験上、鬱はとにかく自分を責めちゃう。



こうなってなきゃいけない自分の枠に足りてない事が悪い事だと



カルト、特にエホバの証人については、楽園に行くために神に認められる枠に自分をハメなきゃいけない



それに足りてない自分なんて晒したら大問題ってか審理委員会。



人として、やりたい事、なりたい自分なんて人それぞれなのに、狭い枠に閉じ込めなきゃいけない


親や周りの信者に心配されたり、疑いをかけられたらいけない。


そりゃ自分責めちゃうわ。



それで冒頭の話

彼女が笑顔を絶やさなかった理由



彼女はカミングアウトしてくれた時、

「今まで通りににして欲しい。」

と確かに言った。



私も同じ状況になるまでその意味を正確には分かっていなかった。



悔やんだし気付いてあげられなかった自分をずいぶん責めた。



私は鬱を発症して死を選んだ時、とにかく周りの人には気づかれないように気を使い続けた。

平気だよをアピールした。



もしかしたらきっと彼女もそうだったのかもしれない。




自死のニュースが流れる度、

.え あの人が?

.そんな素振り無かった

.急な事で



と よく耳にする。


そりゃそうよ。最後まで気を使い続けてるんだから。



周りの人にとっては急にイくんだよ。




そう思ったら、彼女の気持ちが流れてきて、





気づいてあげられなかったと悔やむより、

気づいて欲しくなかったって思いもあるような気がして。




瞬は前向きじゃなくていいから、後ろ向きも受け止めて

ひたむきに生きろと




約25年越しの彼女の愛情がやっと伝わった気がしました。




なくしたものは大きすぎるけど



yuri

あの時繋いだ手の温もりは一生忘れない